語り部という行き方

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 私はほくほくと自室へと戻った。玉の使い方もこっそり、秀蘭から聞いた。いつ旅に出ようか、そればかりを考えていた私の元に、珍しく使いの者がきた。 「公主様、本日は貴妃様と皇帝陛下が共に食事をと仰っています」 「母上と、帝が?」  こんな事、誕生日だってなかった。  不安がこみ上げる。嫌な予感しかしない。けれど逆らうわけにはいかない。私は頷いて夕食の準備を始めた。  その夜、父である帝と数年ぶりにまともに顔を合わせた。母も相変わらず年齢を無視した美女だし、二人の弟とも久しぶりに顔を合わせた。 「久しいな、鳥姫」 「はい、陛下。今宵はお招き頂きまして、有り難うございます」  裳を軽く上げて礼をした私に、帝は鷹揚に頷く。そして母とは目も合わない。当然だ、私が生まれた二年後に公子を授かったんだ。比重などまるで違う。月とすっぽんな扱いだ。既に関心もないのだろう。  席について食事を始めるが、これという会話もないまま黙々と。まるで喪中のようだ。  その中で帝だけが、私に時折話しかける。 「母に似て随分美しくなったものだ」 「有り難うございます」 「ところで、年齢はいくつになった」 「十五でございます」 「そうか。そろそろ、良い頃だろうな」  ドキリと胸が痛む。心臓を掴まれたような苦しさに私が帝を見ると、彼の人は悪い笑みを浮かべていた。 「()の国と和平を改めて確認する事となった。明日、国境へと向かうように。準備はこちらで済ませてある。先方の公子もなかなかと聞く。お前にとってはこれほど良い話は……」 「お待ち下さい! 私」  私、語り部になりたい。  喉までその言葉が出かかった。けれど、帝の射貫くような目を見るとそれが出なかった。 「お前が断れば、離宮の者が困った事になるだろうな」 「……え?」 「歩けぬ老女が公主をたぶらかした罪は、重い。だが、お前が朕に従うというのならば、目を瞑ろう」  私がこの話を断れば、秀蘭が殺される。  ガタガタと震えが走り、悔しさに歯を食いしばって俯いた。誰も私に関心がなくても、雑に扱われていても私は恨まなかった。大らかな人間だと自分でも思っていた。  でも今、誰かを恨む気持ちを知った。力を持たないただの娘の限界を、思い知った。 「鳥姫、帝のお心を無下にする事は許しません。お前のような変わった子の将来を案じて下さる帝のお心に、伏して感謝するのです」  冷たい母の声と態度。変わった子だというならいっそ、存在しなかったと思って見逃してくれないだろうか。生まれて直ぐに死んだと思って、どこかに捨ててくれないだろうか。 「見た目だけはいいんですから、精々可愛がってもらいなさい」 「!」  それっきり、母の声を聞くことはなかった。  その夜、私はひたすら泣いた。嬉しかったはずなのに、辛くて息ができなくなりそうだった。  そっと胸元の玉を握る。いっそここでこれを使ってしまおうか。  ……いや、駄目だ。そんな事をしたら私はいいけど、面子を潰された帝がお怒りになる。秀蘭が殺されてしまう。  目的地は夏と凌の国境にある、夏側の離宮。そこに向かうのに馬車で五日はかかる。その間に……これも駄目。結局帝の面子が立たない。引き渡されて、儀式を行った後じゃないと。  ……ううん、それでも駄目。「逃げた」と言われて帝に苦情が行ったら同じ事だ。  どうしたらいいの? 私はこのまま人質のように、顔も知らない男の所に嫁ぐの?  知っている、それが普通なんだって。相手は夏の国の現帝の三男。武官をしているらしい。端から見れば十分に良縁で、それを拒むなんて頭の可笑しい子だって言われる。  この後宮にくる妃候補はみんな、少しでも良い相手と……あわよくば帝と良い仲になれるようにと思っている。そんな人達にしたら私のはただの我が儘。帝の子だからって何を言っているの? という話だ。  けれど私は知ってしまった。素敵な恋のお話や、冒険のお話。世界の不思議を知ってしまった。何もいらない。その日を過ごす宿も食事もいらない。物乞いだと言われてもいい。ただ自由に世界を羽ばたく翼があればそれでいいのに。  その日、私は結局眠れぬまま泣き濡らし、翌日腫れた目に女中が驚いて厚めの化粧をされ、挨拶もしないまま後宮を後にした。
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