籠の鳥と暴君

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籠の鳥と暴君

 五日、私はずっと黙ったままだった。それでも従者も女中も何も困らない。むしろ叫び出さないだけ楽だという感じだ。  食欲もなくてあまり食べないのだけは困ったみたいで、五日で私はすっかり艶がなくなった。  いっそこれで向こうから突っ返されないかな? 後宮には他にも公主はいる。適齢が今私だけってだけで、後二年もすれば他にもっと普通の感覚の可愛らしい姫が来るっていうのに。  夏の国の離宮は静かな場所にあって、自然な木々と木漏れ日、そして川のせせらぎが聞こえてくる。  そこに、ひっそりと建っているのだ。 「ようこそ鳥姫様。遠い道のりでお疲れでしょう。さぁ、こちらに」 「有り難うございます」  出迎えてくれたのは夏の国の後宮を司る宦官(かんがん)のお爺さんで、全体的に丸っこい人でいい人そうだった。 「本当にお顔の色が優れませぬ。まずはお休みになりますか?」 「あぁ、いえ。先にご挨拶をしたいのですが」  あわよくば離縁されないかと願っています。  宦官のお爺さん、(えん)さんは私を心配しながらも頷いて、丁寧に案内してくれる。  派手じゃないけれど、住み心地の良さそうな離宮。これ見よがしな朱色ではなく、自然な木目で、けれど飴色で、彫り物も見事で。 「素敵ですね」  思わず呟くと、燕さんは嬉しそうに笑った。 「ここは郭旬(かくじゅん)様が作らせた離宮でしてね。あの方は変わった方ですが、皆に好かれております。飾らず、傲らず、いつも自然と人を集める方なのです」 「素敵な方なのですね」  そんな人の相手が私なんて、明らかに貧乏くじだわ。  なんだか申し訳なくなってきた私は、綺麗な飾り窓のある部屋の前に立った。 「郭旬様、公主様が見えられました」  礼をする燕さんの隣で私も一応の礼をする。すると扉がそっと開いて、中からとても穏やかそうな男性が現れてにっこりと微笑みかけてくれた。  すっきりと短い黒髪に、程よく焼けた肌。逞しい体つきは武官という彼の現職に見合うもので、きっと強いのだろうと思う。顔立ちは精悍なのに穏やかで、浮かべる表情は私を歓迎してくれるものだった。 「お待ちしておりました、公主殿。まずはこちらへ掛けてください」 「有り難うございます」  とても自然に手を出され、こちらも思わず取ってしまう。にっこりと微笑んだ人がすっと室内へと招いてくれて、用意されていた椅子に腰を下ろした。  冷たい果実水が出され、飲み込むとほんのりと甘く香りも良くて、思わず一息に飲み干してしまう。はっとして小さくなると彼は微笑み、手ずからお替わりを注いでくれた。 「すみません」 「暑くなり始めていますし、長旅は疲れるものです。私も遠征などするとやはり疲れますし、そういう時に甘い物はとても美味しく思います」 「遠征などもなさるのですか?」 「えぇ。帝の子として民を守る職務にある事は誇らしい事ですし、他の者が戦っている時に安全な場所にいては、意味がありませんから」  立派な人。それこそ、物語に出てくるような理想の王子様じゃなかろうか。  お姫様がこんな出来損ないだけれど。 「紹介が遅れましたね、姫。私は郭旬(かくじゅん)と申します。既にご存じでしょうが、武官をしております。荒っぽい者達の中に身を置いておりまして、失礼がありましたら申し訳ありません。なにとぞ、ご容赦ください」 「そんな! 私の方こそ、無作法で申し訳ありません。鳥姫と申します」  改めて頭を下げると、郭旬はにっこりと笑う。そこで声がかかり、温かな桃まんが置かれた。 「お二人の出会いに、少しこの爺も気張りましてございますぞ」 「燕爺、恥ずかしいから。あの、先走って申し訳ありません鳥姫。燕爺は何かあるとすぐにこれで」 「お祝いの時に桃まんを出すのは普通の事。今日はお祝いですぞ!」 「爺!」 「ふふっ」  胸を張る燕さんに、恥ずかしそうにする郭旬。そんな二人を見て、私は笑った。なんだか懐かしかった。私も秀蘭とよく、こんな感じの話をした。上手に語れたらおやつの時間になって、やんのと言いながらおやつを食べて……。 「姫様!」 「鳥姫、どうしたんだい!」 「え?」  驚く二人に首を傾げると、郭旬が手巾(しゅきん)を差し出してくれる。 「何か、辛い事がおありでしたか? それとも、こんな急な婚儀に戸惑われておりますか? もしかして、既に思う人がいて無理矢理」 「違うんです! あの、思う人はいません。……お二人を見ていると、私にも楽しくお喋りをした人がいて、その人は今どうしているかとか、そんな事を思ってしまって」  頬を拭い、恥ずかしさを隠すように笑って伝えると、燕さんと郭旬は互いを見合い、そして静かに私に向き合った。 「その人と、お別れをしてきたのですか?」 「……いえ、それも言えませんでした」 「どうしてそんな」 「……私が、この縁談を断りたいのが、ばれていたから。もしも断ったらその人の命はないと、帝が」  それを聞いた郭旬はとても辛そうな顔をする。  言うなら今しかない。私はすぐに椅子を降りて床に座って頭を下げた。 「ごめんなさい! 私……私はこの縁談をお受けできません! どうかお見逃しください! とんでもない無作法な娘でこんなのは妻に相応しくないと突き返してください!」 「鳥姫!」  慌てた郭旬が私に頭を上げるように言うけれど、私は上げられない。下げたまま震えていると、穏やかな声が直ぐ近くからした。 「……どうして、受けられないかを聞かせてもらってもいいかい?」 「……私は、語り部になりたいのです。先に話した人は元語り部で、私の師匠です。独り立ちの許しを得た日に、この話を聞かされて…………私、諦めきれないんです」  とんでもない無茶を言うのだから、正しい事を話さなければ誠実に欠ける。私はどれだけ言葉を尽くしてもいいと思って頼み込んだ。  それに、郭旬は驚いたようだった。 「なんと、語り部とはあの語り部でございますか? 路銀も持たずに旅をして、物語を語るという。まるで物乞いのような」 「爺、言葉が過ぎる。語り部はとても素晴らしい人々だよ。遠くの国の夢のような話や、勇敢な人々の物語を身分の差なく語ってくれる。民が彼らを歓待するのは、多くの夢や希望を見せてくれる人々だからだ」 「それは……そうですが…………。ですが、公主という身分を捨てる程の生き方でしょうか? 公主様、どうかお考え直しを。この方は無粋な所が多少ありますが、愛情深くお優しい方ですぞ」  分かっている。燕さんの言う事も十分分かっているつもりなのだ。身分も捨て、家も捨て、故郷すらもない旅暮らし。危険もあるだろうし、冷ややかに扱われる事もあるだろう。  それでも、私は願うのだ。 「お願いします」  重ねて言うと、郭旬は困ってしまったのだろう。肩を叩いて、顔を上げた私の前で首を横に振った。 「ごめん、それはできないんだ」 「どうして!」 「父の顔を潰す事になる。それに、二国の関係が悪化してしまう」 「……分かります」 「ごめん」 「いえ。恥ずかしい真似をして、申し訳ありませんでした」  ふらふらと立ち上がった私は、上手く立ち上がれなかった。急な目眩で蹈鞴(たたら)を踏んで、慌てた郭旬が支えてくれた。 「ごめんなさい。大丈夫です」 「大丈夫な所が見当たらない。爺、部屋は用意してあるね」 「はい!」 「運ぼう。今日は疲れたんだと思うから、ゆっくり休みなさい」 「……はい」 「……君が連れてきた者達は、遠ざけておく。燕を側に置くから、安心して休んで。この爺は戦えはしないが、声の大きさでは誰にも負けない。直ぐに私の耳に届くよ」  気遣ってくれたのだろうか。私は頷いて、部屋に案内され、そのまま深く眠ってしまった。
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