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その夜、少し遅い時間に目が覚めた私に燕さんが真っ先に気づいて、腹の具合を聞いてきた。「普通です」と答えると「いや、空いていませんか? という意味で」と言うので、私は空腹を改めて感じた。というよりも、虫が勝手に催促をした。
そのまま部屋で待つよう言われたので待っていると、声がかかる。そうして入ってきたのは、何故か郭旬だった。
「え?」
「夜食をご一緒出来ればと思ったのだけれど……嫌だったかな?」
「あぁ、いいえ」
羽織をはおっていて良かった。流石にだらしなさ過ぎる。
席を移動して、温かな茶と粥を頂いて、私はなんだか人心地ついた感じがした。
「美味しかったです、ご馳走様でした」
「お粗末様でした。燕は料理上手なんだよ」
「燕さんが作って下さったんですか! こんな時間に、申し訳ありません」
「いやいや、公主様が美味しそうに召し上がってくれるので儂も嬉しい限りですぞ」
笑ってくれる燕さんに改めてお礼を言う。
ふと、その目の端に真剣な顔をした郭旬が見えた。
「?」
「鳥姫」
「はい」
「一つ、語ってくれないか?」
突然の申し出に、私は驚いた。燕さんも驚いた顔をした。けれど郭旬だけはとても真剣な様子で、私は頷いた。
何より、嬉しい。沸き立つような気持ちがある。語れる事、聞く人が居ること、私の語りを望んでくれる事。
嬉しくて嬉しくて、私はにっこりと笑った後で居住まいを正した。
ジッと、郭旬を見る。彼が何を欲しているのかを見定めるように。けれど彼の心はとても穏やかでほぼ無音。温かな空気だけを感じるという不思議な状態だ。
その中でふと、『君が好きな話がいい』と感じ取れた。それでようやく、私が心を覗いているのがバレているのだと知った。
ちょっと恥ずかしいし、気をつけなければ。語り部の目に頼って相手の心を読むだけではいけない。そんな事をしなくても相手のほしい語りを選び出さなくては、一人前とは言えない。秀蘭が言っていた言葉だ。
私はすっと息を吸う。そして、私が今一番語りたいと思う物語を選んだ。
「これは、とある西の国のお話です。
その国の王様は、人々に暴君と恐れられておりました。まだ若いのに戦が上手で、負けた兵士や罪人を沢山殺したからです」
郭旬もすっと背を伸ばした。そして、真剣に聞いてくれている。なんだか秀蘭みたいだ。私が語り出すといつも背を伸ばして聞いてくれる。見定めるみたいに。
「この王様には一人、捕虜とした青年がおりました。幼い頃に来て、ずっと王宮に匿われていたこの青年を、城の人は『鳥』と揶揄しました。
彼は日がな一日何をするでもなく過ごし、気が乗れば歌を歌う。その歌声はとても美しく、人々を魅了しました。
が、鳥が自由にできるのは宛がわれた部屋とその前にある小さな中庭だけ。そして彼をここに閉じ込めておきながら、王は彼の所にあまり顔を出しませんでした」
この話を秀蘭から聞いた時、私は鳥に自らを重ねてしまった。後宮を出る事を許されない私と、どこにも行けない鳥。そのせいか、私はこの物語が得意で……最後はとても辛くなるのだ。
「ある日、鳥が中庭で歌っておりますと、珍しく王が側に来て腰を下ろします。鳥はとても驚き歌うのを止めてしまいました。
王は『歌ってくれないのか?』と歌を所望します。ですが鳥は『命令なさればいい』と顔を背けて嫌がる素振りを見せます。
暴君といわれる王にこのような態度を取れば打ち首必死ですが、王は鳥を寂しく見て『ならばよい』と腰を上げて、立ち去ってしまいました。
その背を、鳥も哀しく見つめます。
実はこの二人、元はとても仲が良かったのです。鳥の祖国と王の国は同盟関係にあり、幼い鳥は年上の王に懐いていました。
なのに王は鳥の国を滅ぼした。幼い鳥はとても哀しくて、それでも王と過ごした楽しい時間を忘れられなくて、ずっと歯がゆい思いをしていたのです」
秀蘭はここで「衆道ね」とうっとり言う。幼い頃は分からなかったが、この年では流石に分かる。おかげで私も妙な目でこの二人を見てしまうようになった。
「それからしばらくして、王は鳥に子守歌を所望するようになりました。毎夜決まった時間に他の者を下がらせ、鳥に歌わせます。
鳥は黙って命令に従い子守歌を歌いますが、王は聞いている感じがしない。戸惑っていると、不意に『すまない』と言われたのでますます困りました。
『何故謝るのです』と問うと、王はやや考えてから答えました。
『お前に、自由を与えてやれなかったことだ』と、王は言います。そしてそっと近づいて、一つの指輪を鳥に渡しました。
『不穏な空気がある。いずれ、何事か起るだろう。巻き込まれる前に去ってくれ。この指輪があれば城を出る事ができる。供もつける。どうか、逃げてくれ』
『……今更、何を仰います。外での生き方も知らないのに、勝手な。飢えて死ぬのが関の山です』
鳥は怒って言いますが、王はとても真剣でした。が、鳥も頑固です。結局押し問答をするばかりで、鳥は城の中。王も毎夜鳥を説得しますが、離れがたい気持ちが先立って無理にとは出来ませんでした」
結局二人とも、お互いを離せなかったんじゃないかと思う。言い訳をして城に留まる鳥と、離れろと言うのに追い出す事はしなかった王。不器用ながらも側にいたかったんだと思うのだ。
「そんなある日、異変は突然起りました。王の弟が謀反を起こし、王の寝首をかこうと迫ったのです。
鳥が王の側で子守歌を歌って居る時でした。音に驚き震える鳥に、王はすぐに信頼できる家臣をつけ、隠し通路へ逃げるようにと伝え、当面のお金も持たせてくれました。
けれど王は逃げません。鳥は声をかけますが、王は『民を捨てて逃げる王は、王とは呼べない』と言うのです。
隠し通路に押し込まれた鳥は逃げました。そして逃げている最中に、王が鳥の国を攻めた理由を知ったのです。
王は鳥の父王を信じていました。が、王に代替わりした時に欲を出し、王の国を攻め落とす算段を立てていたのです。それを知った王は再三和平を申し入れましたが聞き入れられず、とうとう争いが起ったのだと。
鳥は信じられませんでした。でも、どこかでそんな気もしていました。王は優しい頃のままの顔をしますし、本当は優しいのを知っています。悪い噂を流すのはみな、戦に負けた人々でした。
鳥は、王の所に引き返す事にしました」
郭旬はとても驚いた顔をした。その気持ちは、よく分かる。私もどうしてと思ったから。戻ったら殺されてしまうかもしれないのに。
でも、鳥はこの時には覚悟が出来ていたんだと思う。自分の居場所は王の側なのだと。
「隠し通路を出ると、城は燃えていて、王は動けない程に傷つき、死にそうでした。それでも一人戦ったのです。攻め込んだ弟も倒れています。が、そこから逃げるだけの力は無かったようでした。
王の元へと駆け寄った鳥に、王は驚いて声を発します。『何故戻ってきたのか』と。
それに鳥はこう返します。『籠の鳥は、飛び方を知りません。餌も取れません。貴方が私の羽根をむしり取ったのではありませんか。今更無責任に、飛べなどと言わないでください』と。
炎にまかれ、崩れゆく城。その中で鳥は王の為の子守歌を歌い続けました。王の目が閉じ、動かなくなってもまだ、歌い続けたのです。
焼けた城跡から、王と鳥は見つかりませんでした。生きていると言う者もいましたが、大半の者はこう言いました。
鳥が王を天へと、連れて飛んだのだと」
語り終え、私は深呼吸を一つして頭を下げた。
音がなく、どんな反応をされたのだろうかと顔を上げると、燕さんは丸いつぶらな目から沢山涙を流していて、郭旬も深く頷いてくれた。
「素敵な物語を有り難う、鳥姫」
「いえ! まだまだ未熟なものですが」
「そんな事はないよ。君の語りは君の気持ちが感じられる。何より、語っている時の君は真剣で、物語の中に入っているように感じた」
「小さな時から、物語が好きで憧れていました。一緒に物語に浸って踊ったり、歌ったり。素敵な王子様と恋をすることも、怖い妖怪をやっつける事も出来るんですよ」
「それはとても楽しそうだ」
にっこり笑う郭旬が頷いてくれる。
私は、ちょっと満足もした。私の語り部としての初めての人は、私の語りを喜んでくれる。それだけでも嬉しくなる。
「鳥姫」
「はい?」
「……君は、語り部になるべきだよ」
「え?」
少し真面目な顔をする郭旬に、私は驚いた。燕さんも驚いて涙が引っ込んだ。
「どういう意味ですかな、郭旬様! そんな……第一お父上にはどうご説明するのです!」
「そうですよ! いえ、無理を言っているのは私ですが……でも、どうやって」
「色々考えてみたんだが、婚礼の儀式は滞りなくやりたい。これで両国の面子が保たれ、同盟は安定する。その後、何かしらの事故で君が亡くなってしまった事にすれば、可能じゃないだろうか」
「…………え?」
つまり、私は死ぬのか?
「私が仕事で屋敷を空けている間、君はうっかり単独事故で死んでしまう。勿論死んだふりでいい。そこは上手く誤魔化すよ。私は結婚間もなく妻を亡くして可哀想な夫を演じ、君は名前を変えて語り部となる。どうかな?」
「どうかな? って……そんな、上手くいきます?」
「力業だ。だから迷っていた。だが、君の語りを聞いて踏ん切りがついたよ。君が望むなら、私は力を貸そう」
思ってもみない事だ。そして、私の夢は叶う。両国の面子は保たれたまま。だって、事故や病気はどうしようもないもの。
「本当は、誰にも何の危害の及ばない方法を探したんだけれどね。それこそ人智の及ばぬ……神様の所業とかなら帝もどうする事もできないんだけれど」
「神様の、所業?」
そういえば、出来なくはないか?
私は胸元の玉を握る。これがあれば、どうにか出来る!
「あの!」
「ん?」
「実は師匠から龍の玉を預かってきたんです。師匠の元の用心棒は天界の龍だったそうで」
「……え?」
「まだ生きているだろうし、これを譲渡された私なら相棒になってくれるだろうって」
「……どうして、ここに来る前に使わなかったの?」
「結局逃げるのに変わりないので、師匠に危害が及ぶと思って使えなかったんです。でも、結婚式をしてしまったら面子は保てますよね? 私が逃げた訳ではありませんよね?」
「そう、だね」
「突然天から龍が降りてきて私を攫っても、私は約束破ってませんよね! 神様が攫ったんですから!」
「う、ん」
「よし!」
そうか、約束を守った後なら使っても大丈夫なのか。
私はちょっとだけ気持ちが浮上した。
そんな私を見て、郭旬は可笑しそうに笑った。
「本当に、語り部になりたいんだね」
「はい! って……ごめんなさい、私浮かれて。郭旬にしたら面白くないわよね」
目の前で婚約破棄を堂々喜ぶ状態だ。流石に嫌な奴だろう。
申し訳なく俯くと、郭旬はとても柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「君の気持ちも、少し分かるんだ」
「え?」
「私も、語り部が来ると興奮して寝付けない子だった。物語を想像して、自分がどんな者にもなれた気がした。いつか広い世界を駆け回ってみたい。そう思って、武官になったんだよ」
「そう、なんですか?」
「あぁ。だから、気持ちは分かる」
遠慮がちに手が伸びて、頭を撫でる。大きくて、少しごつい手が優しくて、私は撫でられる事を心地よく思っていた。
「婚礼の儀、当日に実行しよう」
「はい」
「けれどそれまでは、どうか側にいてほしい。できれば時々、語ってくれないか?」
「勿論!」
「対価は甘いお菓子とお茶でどうかな?」
「十分すぎるわ」
こうして、私と郭旬の少し変わった関係が、始まったのだった。
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