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夢と現実の間で
それから、私はこの離宮で半月ほどを過ごした。小川に足を浸して騒いでみたり、習って釣りをしてみたり。郭旬はその全てを一緒にしてくれた。最初こそ男性と一つ屋根の下ということに妙な緊張があったが、郭旬はとても紳士に接してくれる。むしろ気の合う友達のようですらあるのだ。
日中は二人で周囲の散策をしたり、彼の鍛錬を見せてもらったりして過ごし、夜は空の見える場所で少し話し込んだりする。
彼は私に語りを望み、私は喜んで語った。嬉しそうにしたり、時に私の歌に手拍子をしたり、一緒に踊ってみたりもして。
私はこの関係を、とても好ましく思い始めていた。
「そういえば、郭旬はどうして私が婚約を破棄したいって言ったの、怒らなかったの? 普通怒る……というか、無礼者だと思うんだけれど」
不意に気になって聞いた事に、郭旬は苦笑する。そしてばつの悪い様子で私に返すのだ。
「実は私も、あまりこの話に乗り気では無かったんだよ」
「そうなの!」
思わぬ事に私の方が驚いてしまった。いや、でもそれなら…………うん、前向き検討してくれたことにも納得がいく。
郭旬は少し真剣な目を私に向けた。
「武官というのは、危険な仕事だからね。戦が起れば私は最前線に立つつもりでいるし、少なくとも戦地へは行く。そこで何かあれば、帰る事ができなくなる」
「そう……ね」
あまり、深く考えていなかった。
確かにそんな事も起こりえる。討ち死にでもすれば、最後を看取る事もできないし、最悪遺体が戻らない事だって覚悟しなければならない。
郭旬はそんな事を思っていてくれたのだ。
「私はまだ若いし、この仕事にやりがいを感じている。そんな頃に妻など娶れば、悲しませてしまうような気がしたんだ」
「優しいのね」
「臆病と言うんだよ。私も死にきれないだろう。だから断りたかったんだが、父上はどうしても私にと言うのでね。実は、少しでも嫌な所があればいいなと思っていたんだ」
「どうして?」
「好きにならないだろ?」
「そういうもの?」
「そういうものさ。仮面夫婦なんてのは沢山いる。あわよくばそうなればと、願っていたんだ」
飾らない素直な所を語ってくれた郭旬が、「嫌いになった?」なんて言うから、私は自分の気持ちを多少見なければいけない。そしてそこに、嫌いという文字は一つも無いのだ。
「郭旬を嫌う人って、居ないと思うわ」
「そうかな?」
「そうよ。誠実だし、優しいし、親切だし」
「買いかぶりすぎだよ。宮中では変わり者って言われている。身分を考慮していないともね。兄上達なんて、いつか暗殺されやしないかとヒヤヒヤしているみたいだし」
「そんな人いないよ! 私みたいなのにも、こんなに優しいし」
我が儘で、周りが見えなくて、失礼な私を許してくれる。そんな人、とても貴重だと思う。誰からも相手にされなかった私にも、こんなに優しい。
不意に伸びてきた手が、クシャリと頭を撫でる。見ると郭旬は穏やかに笑っていた。
「私はそんなに親切な男じゃないよ」
「そんな……」
「本当だよ。多分、君だからだ」
その言葉に、心臓が跳ねる。特別と言われた事のない人間の、それは渇きを癒やす言葉だった。
「君と居ると気持ちがとても楽になる。天真爛漫で、とても良く笑う。私の話を面白そうに聞いてくれるし」
「私はとても楽しい日々を過ごしているわ」
「私もだよ」
そこで、お互いに言葉がなくなった。
胸の中で、モヤモヤしたものが生まれてくる。気づき始めていることに、私は蓋をしようとしている。きっとそれは郭旬も同じで、だからこそ言葉がないんだと思う。
知らないでおこう。私が、語り部となるために。
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