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婚礼の儀式は滞りなく行われる。陛下が天への祝いの言葉を告げ、お互いに誓いの言葉を口にする。
その後、宮中の正面門が開けられて夏の国の民が一目見ようと押し寄せてくる。二階に作られた露台からその人達を見渡して、私の手は酷く汗ばんでいた。
ここで、私は玉を使う事になっている。
「……いいかい?」
問われて、私は踏みとどまってしまう。玉を使い、龍を呼び出す事はそんなに難しくない。私が彼の龍の名を口にすればいいだけだ。
ただ、それをすれば後戻りはできない。躊躇って、胸元の玉を握ってぎゅっと目を瞑った。
その時、にわかに空が陰り太陽が隠れ、暗い雲が稲光と共に迫り来る。雲は光るのに、雨は降らないし音もしない。その不思議な様子に集まった民は不安がり、控えていた武官がにわかに騒ぎ出す。
黒雲が裂け、神々しい光りが筋を作って私と郭旬を照らす。そうして現れたのは、雄大な青い肢体をくねらせ、金の髭を棚引かせた堂々たる青龍であった。
「なんと……龍が降臨なさった……」
陛下が呟き、頭を下げる。郭旬の二人の兄も、貴妃様も。
その中で私と郭旬だけが立って、空を見上げた。
私は混乱していた。だって、まだ名を呼んでいない。私はこの龍を呼び出していない。手順を知っている郭旬も驚いたみたいで、私を見て龍を見てと忙しくしている。
「汝が、我が供か?」
「え? あ…………はい」
手が、知らず震えた。臆したのではなく、こうなっては後には引けないのだと感じたから。私は、旅立つのだ。
龍はジッと私を見つめている。金色の鋭い目で。その目と、私の目が合った。
『秀蘭が世話になった、娘』
「え?」
『恨まないわけではないが、気持ちは落ち着き穏やかだったと、話してくれた』
「え? あの……秀蘭が、ですか?」
『あぁ。私はあれを待っていた。そして無事、私の所に戻ってきた』
その言葉で、秀蘭が死んだのだと私は感じた。そして、大切な相棒の元に行くことができたのだと。
『礼を言おう。あのまま彼女が魔に落ちでもしていたら、私は其方の国を滅ぼしかねなかった。私から大切な者を奪ったばかりか、魔物にまでした者達を恨んだだろう。大変な邪神となっただろうな』
絶対に、洒落にならないことが起っただろう。私にしか聞こえない龍の心の声は、楽しそうに笑った。
『秀蘭からの伝言だ。其方の幸せを願うと。娘よ、旅立ちたいか?』
問われ、私は郭旬を見た。私の手を握る彼の手は、痛いくらいに力が入っている。目は恐れながらもどこか必死で、敵ではないのに守ろうとしてくれるようだった。
私は、首を横に振った。
「私は、ここにいます。託してくれた物語を引き継げなくてごめんなさい」
『よいよ、分かっていた。其方の様子はずっと、私も秀蘭も玉を通じて見ていた。きっと、今の其方にとってその選択が最良なのだろう』
笑うように目を細めた青龍はすっと体を引く。そして、皆に聞こえる声で祝福の言葉を述べた。
「汝が行く末に、幸多からんことを」
一筋差した光が引いて、青龍は雲間へ消えていく。すると直ぐに雲は晴れて再び綺麗な青空に戻った。
「鳥姫?」
郭旬の手から力が抜けて、今度は戸惑った顔をする。それに、私はにっこりと微笑みかけた。
「これでいいの」
「だが」
「旅をする語り部にはならなかったけれど、私はここで語り部をするわ」
「え?」
「私の所にくる人々、招かれればこの宮中でも。身分もなく、男女もなく、物語を伝える。本来の語り部ではないけれど、せめて託された物語を聞いてくれるなら」
それがせめてもの、私の勤め。語り部にはならなかったけれど、やはり物語は伝えたいし、聞いてくれる人がいるならばそれにも応えたい。
悪戯っぽく笑って、私は郭旬を見た。
「私の相棒は旦那様がしてくれるでしょ?」
「! あぁ、勿論だよ」
驚いて、次にはとても幸せそうに笑う人と寄り添って、私は幸せな笑みを浮かべて空を見上げる。
秀蘭と彼の龍が、見ているかもしれないから誇らしげに、少し自慢げに。大丈夫だって、全力で言えるように。
喧噪が、徐々に戻ってくる。私を取り巻く世界はもの凄く騒々しくなりながら、でも賑やかに流れ出していった。
【完】
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