69人が本棚に入れています
本棚に追加
あまりの気持ち悪さに、胃の奥から苦くて酸っぱいものが込み上げてきて吐き気さえもよおした。
啓斗が前向きになるのはうれしい。心からそう思っている気持ちに嘘偽りはないのに、啓斗が前向きになればなるほど悠介から遠ざかっていくのは明らかだった。
試合なんか誘わなければよかった。
大人げないと思いながらもそう思わずにはいられず、そう思わずにはいられない自分がとてつもなく小さな人間で、この上なく醜い生き物に思えた。部屋の中にいる人間たちに混ざって、人の皮を被ってそれらしい振りを装っているだけの悪魔がぽつんと一人椅子に座っている。
「瑠李、送ってきますね」
本当は車で送ろうと思っていたが、野暮だと思い止めた。二人の背中を見送りながらよりが戻るのも時間の問題だと馬鹿らしくなる。
何ともいえない虚無感に苛まれ、蝉か何かの脱け殻になって放り出された気がした。ぺしゃりと足の裏で踏み潰され、粉々になってしまったようなこの気持ちは初めてではなかった。遠い昔、悠介の恋人が結婚すると出て行った日のことを思い出す。二度と思い出すことはないと思っていたあの日の記憶が蘇った。
逃げるようにシャワールームへと駆け込み、火傷しそうなほど熱いお湯を頭からかぶりながら、両手で顔を覆う。
試合になんか誘わなければよかった。自分のかっこいいところを見せようなんて思わなければよかった。
顔面を両手で抑えながら、自分の体中に蔓延る悪魔と必死に戦う。弾き返したい。今ならまだ間に合うかもしれない。気の持ちようで弾き返せるかもしれない。
でももう遅かった。全身を巡る血液とともに悪魔は悠介の体を乗っ取ってしまう。巡回した血は、足の爪先から頭の天辺まで悠介を真っ黒に染め上げ、お風呂場の天井辺りからほくそ笑んでいた。
「お前は人間じゃない」
床が単調な音をたててシャワーの水を弾き返す。
その不協和音はいつまでも止むことはなかったが、悠介の代わりに呼吸をしてくれているようで、かろうじて自分を保つことができた。
最初のコメントを投稿しよう!