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旅立
「食料は持ったか?替えの衣服は?あ、あとあれだあれ…えーと……」
「一先ず、落ち着いて下さい。師匠」
「落ち着けるものか!愛弟子が旅立つというのに!」
唾を飛ばしながら、興奮気味に師匠は言う。
いい歳なのだから、もう少し貫禄を持ってもいいと思った。
空暦2310年4月14日。とある1人の少年が、長らく暮らしていた国から旅立とうとしていた。
名をルク=シュゼンベルクと言った。ルクは師匠と慕う妙齢の女性から見送られ、新たなる旅に赴こうとしていた。
「……まったく、これじゃどっちが子どもか、分かりませんよ…」
ルクは溜息をつきながら、愚痴を零す。そして同時に師匠への感謝を述べる。
「まあ、今までお世話になりました。感謝してますよ、一応は」
「まさか、弟子にそんなことを言って貰えるとは………私は感激だぁ!」
師匠は、弟子の前で顔をくしゃくしゃにして、泣き始める。
(滂沱の涙とは、正にこのことを言うのか……)
ルクが学者然とした態度で頷いていると、師匠は涙を拭き、上擦った声で激励する。
「じゃあ、気をつけて行ってこいよ!それと、あれ無くすんじゃねぇぞ!」
「もう子供じゃないんだから、心配しないで下さい…」
そういってルクは、首から提げていたものをヒラヒラと師匠に見せつける。
凝ったデザインのネックレスだった。二つの大きさの異なる同心円が、金属であしらわれている。
小さな円から大きな円へ、十字方向に金属が伸びている。どうやら、師匠の手作りらしい。
それを見ると、満足そうに師匠は頷いた。
「分かった、分かった。でもな、私にとってはいつまでもお前は子どもだよ。いつの時から、見てると思ってる」
「ハイハイ、ではもう行きますね」
「うむ、行け!自慢の弟子よ!」
その言葉を聞くや否や、ルクは駆け出す。数秒後には師匠の視界から消え去ってしまった。
そして師匠はルクがいなくなったのを確認し、呟く。
「…もう二度とここには戻ってくるなよ」
駆ける。駆ける。駆ける。
ルクは見慣れた街を抜け、外門へとなるべくスピードを落として向かう。
何しろ、もし全速力で走れば街は衝撃波によって消える。
そう、消えてしまうのだ。
生まれつき身体能力が高かったのは、覚えている。
成長すると共に、その能力は高まり続けた。
いつしか、化け物といえるほどに。
化け物………?
「ぐっ…」
ルクは走りながらも、頭に手を当て、呻く。
(……またこれだ)
いつもこの辺りの記憶を思い出そうとすると、頭痛がして思考が遮られる。
まるで、脳が思い出すのを拒んでいるかのように。
やがて、外門に到着した。
通常ならここで通行手形を門番に提示する。だが、目の前の門は、固く閉ざされていた。門番もいない。
それもそのはず、この国は忘れられたのだ。
「さあて、どう壊すかな」
彼は門を強行突破するつもりでいた。勢いをつけて、門を殴りつける。
激しい物音とともに、固く閉ざされていた門扉の一部分が、粉々に砕け散ってしまった。
長い年月が経ち老朽化しているとはいえ、破城槌でも使わないと、こんなことは出来ないだろう。
ルクは、人知を超えたことをいとも簡単にやり遂げたというのにそんなことには目もくれず、悠々と歩き出した。
門をくぐり抜けた先は、青、、青、、、青。その一色で埋められた蒼穹の空。
そう、ここは空中国家アルカナ。
ルクが生まれ育った場所。神が創りし大地を離れ、美しい碧空に浮かぶ国。
かつて各国の魔導学者達が結集し、「人知の終着点」とまで言われた国。国自体が宙に浮き、立地的にも、技術力的にも、最強の軍国家であった。
だが、
「戦争ってのは、恐ろしいな……こんな大国ですら殺してしまったのだから」
ルクは師匠から教わった歴史を思い出す。
独自の技術を開発、運用していたアルカナは、技術力欲しさから周辺諸国から攻められていた。
戦時中で女工をしていたという師匠は、大変劣悪な環境で仕事をしていたらしい。
飯は3食出ないし、臭いし、汚いし……と愚痴を零していた。
結局、今まで攻めてきた国達が連盟を組んだ事で、アルカナは滅亡した。相当な数の国が連盟を組んだことで、流石の大国も対応しきれなかったのだ。
ルクは歩き出す。
外壁の外には、小さな広場が広がっていた。
円形であるアルカナから飛び出した、これまた円形の土地。
上から見ると、地上で「雪だるま」と呼ばれているものに見えると、師匠は言っていた。
ひと昔前まではここで各国の商人らが、入国審査を待っていたという。
今は見る影もなく、雑草が石畳の隙間から伸び、中央にある噴水は水が途絶えてしまっていた。
ルクはさらに歩き、端に辿り着く。
ここも前まではここと地上とを結ぶ魔導式輸送船が定期的に出ていたのだが、今は輸送船と思われる残骸しか残ってない。
つまり、地上との関係は完全に絶たれたということだ。地上へ行く方法は……
「飛び降りるしかないか…」
無論パラシュートや魔導エンジン搭載のジェットパックがある訳でもない。
常人ならば、自殺志願者でない限りはそんなことする者はいないだろう。
ルクは下を覗き込む。
「うーん。これくらいならいけるな」
それなのに、ルクは少し後ろに下がり、助走をつけ勢い良く地を蹴る。
ルクの体は、大いなる青空へと放り出される。
そして無論のこと、その体は重力に引かれ、落下していく。
空気が体全体に凄まじい速度でぶつかってくる。
前髪が、豪快に額の上で跳ねる。
暫くすると、雲がハッキリと見えてきた。
「おお!雲だ!」
思わず、声が出る。
アルカナは雲より高い所に位置しており、遠くからでしか、見たことがなかった。
あとは、師匠が教えてくれた情報だけでしかその存在を知らなかった。
雲に入っていく。中はルクの想像より暗く、所々雷が鳴っていた。
號っっ!
突如として、ルクの体に雷が直撃する。
だが、
「ふぅ。ちょっと痺れたかな?」
ルクは無傷だった。肌が焦がされた時に出る独特の匂いすらなかった。
(雷って確か、相当な電流なんだよな…でも、やはり俺の身体には効かないか…)
ルク自身、雷の恐ろしさを知らない訳ではなかった。
文献にはまだ、国が生きていた頃、輸送船に雷撃が直撃したことによる死者が後を絶たなかったと書かれている。
輸送船は、地上製であったが為に、性能が低かったのだ。
当時は、絶縁体などという画期的な物質はアルカナの専売特許だった。
そのため、輸送船の操縦士たちは、命懸けでこの死の空域を乗り越えなくてはいけなかったらしい。
しかし、ルクは知らなかった。それは無理もなかった。情報源が限られていたからだ。
地上の者なら並の学歴がありさえすれば、学者でなくとも、その違和感に気づいただろう。
本当なら、人間に雷が直撃するなど有り得ないということに。
暫くすると彼は雲を抜け、地面が見えてくるのが分かった。
ルクは生まれて初めて見た地に感動を抱きつつ、これから起こる出来事に思いを馳せる。
(これから一体何が起こるんだろう…僕の特殊な能力について分かるといいんだけど………………ん?)
ルクの異常な視力を持つ目は、一人の人と、その人の3倍程の身長がある異形の怪物を捉える。
片方は………女性だろうか?自分の背格好と比べても、小柄だといえる体躯。
もう片方、異形の怪物の方は、一見すると大きな熊のように見える。
しかし、怪物は溢れ出る魔素がだだ漏れになっている。間違いない。あれは、『魔物』だ。
証拠に、女性の方は魔素が制御され、漏れが少なかった。
(……襲われてる、のか?行ってみるか……)
スカイダイビングの要領で、着地点を少々強引に捻じ曲げてく。
パラシュートが無いのが、唯一にして最大の相違点ではあるが。
まさか、この出会いがルクの人生に大きな影響を与えるとは、誰にも知る由が無かった…………
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