彼はモテる。らしい。

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上谷の言葉に、浅岸は露骨に嫌そうな顔をした。浅岸でも嫌そうな顔をすることがあるんだな、と上谷は浅岸の新しい一面を発見した気分になる。  彼はいつも穏やかで、誰にでも親切だった。 「ほんと、なぁんで皆、勘違いするんだろうな」  苦笑いをして、くいっとアルコールを煽った喉が、男らしいと見とれていることに、きっと浅岸は気付いていないだろう。  見とれつつも、上谷の内心は大忙しだ。今日、わたし、勘違いしたような、変な言動してなかったよね?とあわてて自分の行動を振り返っている。………大丈夫、たぶんだけど。大丈夫だよね?と冷や汗のひとつもかきたいところだが、動揺はいつもの笑顔でしっかりと押さえ込んだ。 「えっと………上谷さんは違うから」  缶から口を離し、上谷の笑っていない笑顔を見てしまった浅岸は言いにくそうにうつむき、呟いた。  その仕草に何かを一瞬、期待してしまった上谷は、更なる動揺を押さえ込むのは無理だと、缶の中身を一口こくりと飲み下した。すぐには浅岸のほうを見られそうにない。  落ち着こう、わたし。彼はいつも、誰にでもこうなんだから勘違いはいけない。深呼吸、深呼吸、と上谷は自分に言い聞かせる。ある程度落ち着いてから、上谷はうつむいたせいで肩にかかった髪を軽く後ろに流す。 「そっか。浅岸さんもいろいろ、大変なんだね」 「えっと………その、ここ三年は俺、誰とも付き合って無いんだけど」  東京駅から乗り換えて会社近くの駅に着き、二人は一旦、ロッカーに行きよりも増えすぎた荷物を預けた。  うっとりするような夜景のレストランで食事を取り、その後、気軽に入れる飲み屋に行って、アルコールを追加する。今日一日でけっこうな金額を使ってしまったような気がする、と上谷は遠い目になりかけたが、楽しかったのは事実だ。明日からは心の兜の緒だけでなく、お財布の紐も引き締めよう。  アルコールでふわふわとした頭で浅岸におやすみなさいとさよならを言い、上谷はアパートにある自分の部屋に向う。  アパートの入り口で浅岸とは別れている。さすがモテ男、荷物を運ぶのを手伝ってくれた。  ふと、上谷は酔いのせいで、何かの判断力が鈍っているような気がした。浅岸の家は同じ駅で良かったのだろうか………?と思いかけて、男を家に上げなかったのだから、良いだろう、と玄関の鍵を閉めた。  週末の休みに、早速魚にハマったらしい浅岸が、水槽を選ぶのだとはしゃいでいた。それに付き合う約束をさせられたような気がする。明日にでも確認しておこう、と酔った頭で上谷は手帳にメモを書き残した。  ただ、上谷は、浅岸の言動を勘違いしないよう、注意することだけは忘れていないつもりだ。
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