どんな人も誰かに影響を与える

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どんな人も誰かに影響を与える

 とある一人の青年は、彼のこの言葉に心を動かされ、その言葉を、あるいは、彼の眼ーあの邪念のない、ビー玉のような眼ーを生涯片時も忘れることなく記憶してしまった。  その青年もまた、他の同級生たちのように、谷口を嘲り、冷やかすことを楽しんでいた。青年は谷口の席の近くに座り、そこから遠く離れた仲間たちに向けて、彼の挙動を逐一真似てみせた。その様があまりにもよく似ていたので、仲間の数人が吹き出してしまった。  そんな時、谷口は例の「お話中すみません。もう少しだけ静かにしてくれませんか?」を言ったのだ。この時、青年はハッさせられた。そして、谷口に対し、申し訳ない気持ちになった。  なぜそうした想いになったのか、その時は分からなかった。彼が谷口の言葉に心を動かされた理由が分かったのは、大学を卒業し、サラリーマンとして会社勤めを始めてから五年が過ぎた時だ。取引先の営業マンからクレームの電話を受け、ひたすら平謝りする羽目になった時、それまで記憶の彼方に眠っていた谷口の言葉が呼び起こされた。そして、その言葉が彼の心の鐘を何度も打ち鳴らし、一つの洞察を彼に与えた。  谷口の言葉に秘められていた謎とは、憐みだったのだ。それは相手に対する憐みでもあり、自分自身に対する憐みでもあった。他者への配慮ー優しさとは違う、相手の心の声にじっと耳を澄まし、その想いを汲むー、それが谷口の言葉には存在していたのだ。  多難な人生において、トラブルは付き物である。いやむしろ、トラブルこそが人生の醍醐味と言えるのかもしれない。青年が受けたクレームの電話も、僅かな人為的なミスと偶然が重なり合い起きてしまったトラブルであり、それは誰かの責任にするにはあまりにも難しい問題だった。しかし、その責任を誰かが負わなければならない時がある。怒りの矛先を誰かに向けなければ、どうしようもない時がある。そうした不条理な人生のトラブルに対して、私たちが出来るのは、ただ憐みを持ち、やり過ごすことではないか?  責任の所在が叫ばれる世の中ではあるが、そもそも責任が存在するなどという考え自体が幻想なのかもしれない。いや、この問題については考えれば考えるほど袋小路に入っていってしまう。だからこそ、谷口の言葉は一人の青年の心に深く刻まれていたのだろう。それは何気ない、無意識的に発せられた言葉かもしれない。しかし、その言葉には相手の心を労り、魂自体を尊重する配慮があった。そして、相手をモノとして扱うのではなく、同じ魂を持つ生命として向き合っていた。青年はこの洞察を得てからというもの、理不尽な仕打ちを他者からされた時にはいつも谷口の言葉を思い出した。 「お話中すみません。もう少しだけ静かにしてくれませんか?」
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