谷口という男

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谷口という男

 谷口は実家から大学に通っていた。そして、大学の講義を何よりも第一に考え、それ以外のことにはとんと興味を持たなかった。大学は学問を学ぶ機関であり、それ以外に注視するべきものは何もないと考えていたのだ。彼はその考えを信仰に似た信念として頑なに信じていたため、サークル活動や恋愛、アルバイト、旅行といった現代の大学生の嗜みには全く力を注いでいなかった。それどころか、そうしたことに興じる他の学生を半ば見下し、自分こそは崇高な学問の徒だという気概さえ持っていた。  先ほど、他者への魂の配慮が彼にはあると伝えたが、それと同時に、こうした他者への侮蔑の念も彼は持ち合わせていた。憐みと蔑みはある意味で同一の性質を持ち、それらはコインの裏表のように表裏一体なのだ。そのため、谷口は大学の講義にしか自身の力を注いでいなかった。しかし、親の薦めによりアルバイトだけは行なっていた。  だが、彼はこのアルバイトという労働を何よりも嫌っていた。彼は漫画喫茶で働いていたのだが、人との関わりを不得手としていた彼にとって、接客業は苦行でしかなかった。客の横柄な態度、上司の不徹底なシフト管理、同僚の怠惰な仕事ぶり、そして彼が何より許せなかったのは、そうした蔑み、忌み嫌っている相手に自分が頭を下げなければならないことだ。彼は人並み以上に不器用で、要領が悪く、そして、頑固だった。一のことを教えても半分も理解することができず、また、次の日には忘れてしまう。臨機応変な対応力に欠け、基本的にルーティンワークしかやりたがらない。しかも、そうした人並み以上に仕事ができない人間にも関わらず、いつも不貞腐れた表情をし、成長しようという気概が見られなかった。  そのため、彼の周囲にいた人間は彼の勤務態度に苛立つと同時に、彼自身を蔑んだ。谷口という男は、好きなものにはとことん情熱を持ち、精進することができる男だが、嫌いなことや苦手なことには改善をする努力もせず、ただひたすらに時を誤魔化し、怠けるという性格の持ち主であった。それ故、彼はアルバイトを週一、二程度しか行なっておらず、あまり熱心に働いていなかった。そのため、大学生にとって死活問題とも言えるお金については、てんで持ち合わせていなかった。  こうした事情から、彼には自由に使えるお金がなかったが、彼にとってそれは、それほど大事なことではなかった。金が無いなら無いなりに楽しむ術を彼は知っていたのだ。そして、周囲の人間と交わらず、質素な生活を送りながら、彼は自分の趣味に没頭していた。彼の唯一趣味、それは古本の収集だ。
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