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僕はここ以外がら空きの牢で反響する獣人の声を聞き逃さないよう、静かに床に腰をおろす。
「俺たちは人魚と戦争になる。人魚は火を獲得する可能性がある。
お前なら知っているだろうが、人類は上位種族から、火を授かった。エルフは火を存続させようとし、人間は増やそうとし、獣人は取り込もうとした。
人魚には与えられなかったんだよ。人魚は獣人種という枠の中だった。でも火は水の中で灯ることはない。」
本で読む限り、そこが差別の原因であり、文明力の差だった。
「水の中でも灯る火が発見された可能性。可能性の話だ。推測の域を出ない。それでも、水の中での火力エネルギーと同等のものがある、というのは世界のパワーバランスの崩壊を招く。
人魚に邪魔され、水中を開拓できていないのは知っているな。海底に眠る資源をいち早く研究し、活用出来し、水性火力なんてものまで扱えれば、世界の覇権を獲れる。
……らしい。俺はただ必ず訪れる争乱の時代を生き残りたい。」
最後、少し悲しそうに言った。理屈では分かっているが、覇権とやらのために動いている訳ではないようだ。
「俺たちは何としてでも、次の戦争を生き残る。そのためには、人魚と争っている場合じゃないんだ。獣人種をまとめる必要がある。治めるためのリーダーがいる。お前、バフォメット、が最適なのは分かるだろ。」
兄貴が解読した本によれば、獣人種は進化を目的としている。それを成し遂げたのは、たぶんほとんどいないのだろう。
「ずいぶん人魚に思い入れがあるんだね。」
「人魚に恋仲の相手がいる。人魚と獣人の差別をなくし、起こりうる戦争を生き残りたいんだ。」
やっぱりだ。
だから、悪魔となった師匠を頼ったのだろう。
「なあ、お前バフォメットのことを師匠と呼んでいたな。親しいんだろ。会わせてくれないか。」
「牢獄から出してはあげる。ただ、会うかどうかは、僕が決めることじゃない。師匠に聞いてみないと分からないよ。」
「そうか。当然のことだな。とりあえず、この錠を外してくれ。」
僕はあらかじめ師匠から受け取った鍵で、胴体の鎖、手錠、足枷の順で鍵穴を回す。金属音が床から壁に反響して、空間を満たす度にバレないように身構えていた。
獣人種は何もしてこなかった。自分の手首をほぐしたり、その場で軽くジャンプしたり、小さく尻尾を振ったりした。
「さあ、行こうか。俺があの日最後に見た場所まで案内してやる。」
獣人種は僕の前を歩きだした。僕は、
「あ、そうだ。忘れ物だよ。」
「忘れ物?」
僕は口から、鍵を取り出した。
人間からもらった、トラックの鍵である。
「お前が、なんで……」
「ああ、気にしなくていいよ。僕は好奇心の悪魔だからね。人の、よだれ? とかはないから、気にしなくても」
言い切る前に、手首をねじり、トラックの鍵を奪い、喉を肘で抑える。力を入れる。
悪魔にも一様の呼吸器官はある。生存に必要な魔力や感情を取り入れるための口があり、それが人の呼吸に当たる。
「おい。」
身も凍えるほどの低く敵意に満ちた声。
「何をして、それを手に入れた? アル……あいつはどうした?」
あの人間の名前は、アル、というのか。なんちゃらアルかもしれないし、アルなんちゃらかもしれないが、悪魔の前で真名を口にしない程度には冷静である。
なら問答無用で殺されることはないだろう。僕は苦しいと喉を締め付ける腕を軽く叩く。
獣人は恐る恐ると離してくれた。僕は大きく息を吸う。息を整えて、喋ろうとしたとき、床に顔をつけていた。
踏まれていた。
「そのまま説明しろ。口は動くだろ。」
蹴られた? あの一瞬で? ようやく、打撃と叩きつけられた衝撃とが体の芯に響く。
獣人の足蹴は、吹き飛ばすのではなく、回し蹴りで、防御する間もなくその場に床に寝かされた。
深呼吸している時の油断を狙われた。深呼吸して落ち着こうとするのは、悪魔も人も変わらないらしい。
「早く話せ。」
「分かった。まず、人間は戦争から逃げることが目的。脱獄という言葉を良く使っていた。
計画も聞いた。その時、脱獄相手に人魚の恋人がいるから、それを頼ると。
もしかしてと思ったんだ。人間はこのトラックの鍵は肌に離さず持っておけって言ってたから持ってた。」
「それで、試したと? 鍵を見せて反応を確かめたと。」
「その通り。」
「逆じゃないのか。俺はお前に人魚の話をした覚えはない。」
あらかじめ獣人から人魚の恋人がいると聞いていれば、人間と会った時点で察しがつき、鍵を持ってきても不自然ではない。だから、錠を外す準備もしてきている。
でも知らずに僕はここにトラックの鍵を持ってきているのが怪しいということなのだろう。
簡単だ。
「僕は元から君をここから逃がすつもりだった。」
不信な発言がお気に召さなかったらしく、獣人は黙って足に力を入れた。これ以上圧力をかけれると割れそうだ。
「僕は目的がある。差別の悪魔を生みたい。でも現場を見ないことには研究も計画も進まない。でも悪魔は外に出られない。あっという間に殺されるからね。
あのトラックを見て思ったんだ。これを使えば、姿を見られずに外に、他国に移動出来るんじゃないかって。」
僕は言って気づいた。差別の悪魔を生みたいというのは口実だ。
僕はただ世界を見て回りたいんだ。
「平和になれば……君たちが平和を作りたいなら、僕の差別の悪魔は役に立つはずだ。」
悪魔が受け入れられる世界が創れるかもしれない。悪魔が外を歩いても迫害されることのない平和な世界が。
「運転手を買ってはくれないか?」
獣人は足をどかした。僕はゆっくりと警戒を解かず立ち上がる。何もしてこなかった。
頭を下げて、
「すまなかった。」
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