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銀次が律より先に郁馬を討つには、彼女に追いつき、追い抜く必要がある。そんな律と再会できたのは、旅を始めて一年たった頃だった。
律はとある宿の一室で銀次を待っていた。その頃銀次は街道から外れた場所にある道場の厄介になっていて、どうやらその噂を聞きつけたらしい。宿の丁稚が銀次を呼びにきたのだ。
再会した律は痩せていて、ほつれた着物や髪が痛々しかった。
「再会を祝して」と銀次に銚子を差し出すときの笑みは、疲れが滲んでいた。
ここが逢引宿らしいことは、建物を外から見ただけでわかる。そんな場所に律と二人きり。彼女の弟はどこへいったのか。
律が銀次を呼んだ部屋は二間あるらしく、隣室とはぴっちり閉ざされた襖で仕切られている。こちらが団欒の間ならあちらは寝室だろう。きっと藤吉はそこにいるのだと思いながら、隣から物音一つ聞こえないことが逆に意識をさせた。
「銀次さんは、郁馬さんが私の父を斬った理由をご存じ?」
律の問いに、銀次はあおった酒にむせた。
心当たりはある。だが結局その出来事は別の者が罰せられた。なにより銀次が思う通りであるのなら、郁馬は藩を逃げ出す必要がない。
「郁馬さんは、あなたに誇られる友でありたかったのです」
どういうことかと尋ねる銀次に、律はどこか熱の籠った目で銀次を見た。今の律には旅の苦労を表すように、退廃的な色気があった。
銀次が慌てて律から目を逸らせば、意図せず隣室への襖が視界に入ってしまい、また律に目を戻す。
律はそんな銀次に目を瞬かせて。彼女も襖の方を見て、得心したように頷いた。
「銀次さんは昔、郁馬さんと私と取り合ったことがありましたね」
律が銀次の横にやってくる。腰を下ろすと銀次を見上げた。
「今でも私を好いていますか?」
そうして意味ありげに隣室への襖をみつめてみせた。
銀次の顔が熱くなった。勢いよく立ち上がって、いつかの日に拾い、ずっと懐にしまっていた誓いの松ぼっくりを、彼女の手に押し付ける。
「私とあなたは郁馬を取り合う関係、ただそれだけです」
銀次は部屋を飛び出した。怒りで目の前が真っ赤だ。
そんな風に見られていたのか。銀次が、郁馬がいなくなった途端に律に手を出すような男だと。そう思うと悲しくもあった。
ただ改めて、律に郁馬を討たせるまいと今度は己に誓う。あんな彼女を郁馬に会わせたくはなかったのだ。
そんな銀次に、部屋を出る直前の律の言葉は耳に残らず消えてしまう。
「私たちの松ぼっくりは、弾けてしまったんです」
翌朝には、律とその弟はすでに宿を出立していた。
律と再会できたのはその一度きり。どうやら律のほうが意図的に銀次を避けていたらしい。それでも聞こえてくる噂で位置は把握していた。
思えば不思議な追いかけっこだ。仇であるはずの郁馬は、相変わらず足跡を残している。そしてそれを追いかける律と銀次。――まるで、子供の頃のようだった。
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