ヒイラギ

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ヒイラギ

身体に悪いから、と職場の社員たちが禁煙を始めていく中で、たまに香る煙草の香り。 それは愛煙家である自分にとって「癒し」となっていた。どこに行ってもクリーンな空気ばかりでたまに息苦しくなる。 そんな彼にとって、勤務後のこの店は正に『癒しの場所』 その店内は煙草の煙がまるで濃霧のように充満して、霞んでいた。このご時世、こんなに煙草の煙が立ち込める飲食店は珍しい。男ばかり集まる所はこんなにも愛煙家が多いのだろうか。色んな煙草の香りが混じり合い、きっと禁煙者には耐えられない空間だろう。 「今日も満席なんだな、盛況なこって」 津田は新しく買った煙草の箱を開けながら、煙るカウンターの奥に居るマスターに話かける。シェイカーを振りながら、黒服を着たマスターは微笑む。 「初めはどうなることかと思ったんですけど、意外と需要あったみたいですね。ゲイバーなんて商売にするには、一か八かでしょう」 「まあね」 店内のジャズが耳に心地よい。 東京みたいな大都会ではない地方都市でなかなかの度胸でしょ、とマスター。最近は増えたように思える同性愛者だが、どうしたって少数派なのだ。儲けようとしているなら、こんな店は開かない。 「そんな度胸のあるマスターのお陰で、こっちは助かってるけどね」 ギムレットをオーダーして、津田は煙草に火を点けた。 *** 津田が東京の本部からこの地方都市へエリアマネージャーとして転勤を言い渡されたのは、1年前。繁忙店である店の店長が体調を崩し、出勤がままならないとスタッフから本部に連絡が入ったのだ。 急遽、代理の店長を近県から呼び寄せたが、繁忙店であるが故に本部の助太刀が必要だとの判断がなされた。本部で業務を行なっていた津田にその白羽の矢が立つ。結婚をしていない津田に会社も打診がしやすかったのだろう。 幸い付き合っていた「彼」とも数ヶ月前に別れていたので津田には特に断る理由はなかった。ただ、辞令を聴きながらぼんやり考えたのは週末の「お楽しみ」が継続できるかどうか。定休の前夜、ゲイバーで一人飲むのが津田の『楽しみ』だ。 高校生の時に自分の「性癖」に気づき、思い悩んだ時期もあったがそれも短期間。気がついたら不思議と「彼」ができていた。自分からオーラが出ているのか、学生時代から出会いには苦労しなかった。それは社会人になっても同じ。 勝気に見られやすい目つきと、長身ではあるが丁度いい筋肉質の津田は当然のごとくタチとして求められることが多い。相手は皆、可愛らしいタイプ。 最近では、ゲイバーへ通い手っ取り早く『相手』を求めた。 短ければその日限り、長くても半年。 ーーー溜まるものを吐き出しさえ出来れば。 ーーーどうせ家庭を持てない身体であれば、執着する必要はない。 ーーー深入りするだけ「面倒」だ。 それが津田の信念だった。
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