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ヒイラギ
「そう言えばお店の方は順調なんですか?新しい方が入られたとか言われてませんでしたか」
津田のギムレットを作りながらマスターが聞いてきた。
「ああ、よく覚えてたね。あれでしょ、前の店から追っかけて来た純情青年…」
頬杖をしながら煙草をふかす。ここでその話をしたのは1か月前だ。あの時は少しだけやさぐれていた。
***
津田と一緒に急遽、転勤となった店長がいた。可愛い系の彼になにかと優しくしてやっていたのだが…
数週間後、バイトの面接に来たのはその店長の「彼」。店長を追いかけて、元の店を辞めてこちらの店に面接しにきたのだ。
面接をした津田はそんなことはつゆ知らず、彼の初出勤の日に店長が彼に会って発覚した。
『店長と離れたままなんて、無理』
なんの躊躇いもなくそう答えた彼の言葉に、店長の顔がゆでダコのようになっていた。
(オイオイオイ・・・)
津田はそんな二人の様子を見ながら、半ば呆れる。
(勝手にやってろよ)
津田はそんな事を思いつつ、じゃ今日からお願いするね、と精一杯の「オトナの微笑み」を返した。
実は少しだけ佐藤が「好み」だっただけに、津田はやさぐれていた。だが、それもほんの2、3日のこと。
***
「新しい奴ねぇ。うまくやってるよ。仕事もアッチのほうもな」
「棘のある言い方ですねえ」マスターがクスリと微笑む。ふん、と津田は酒を傾けた。
不意に背後から国産の煙草の香りがした。津田の外国製の煙草よりもかなりキツイ香り。むせ返るようなこの香りが津田は苦手だ。
「マスター、オーダーいいかな」
振り返って香りの元を見るとその煙草を咥えた長身の男がいた。この界隈ではモテる部類の顔をしている。短髪に、くっきり二重。スポーツでもしていたのか、肩幅が広く、筋肉にも無駄がなさそうだ。
津田が知る限り、見たことのない男。
(こりゃ遊んでんなあ…)
モテるであろうが、津田の好みではなかった。主導権を握りたい津田にとっては合いそうにない。
「オーダーですね。どうぞ。何になされますか?」
男は、津田の横に立ち、メニューを確認しつつ背後を振り返った。
「俺はマティーニで、葵は何にする?」
葵、と呼んだその際にもう一人彼の連れがいた。と同時に津田が大きく目を見開く。
パーマなのか癖なのか、柔らかそうな髪をハーフアップにしている彼はまるでモデルのように美しい。華奢な体つきなのにどこか凛としている。
「…マンハッタンで」
少し不貞腐れたような掠れた声で彼が答えた。
二人が頼んだカクテル。『カクテルの王様』がマティーニに対し『カクテルの女王』がマンハッタン。
二人が濃厚な恋人同士である事は、明白だった。
津田はようやく、二人から目を逸らす。手元にあるギムレットを煽りつつ、胸の鼓動を落ち着かせようとした。
一瞬にして、彼に惹かれていた。
シェーカーの音がやがて止まり、二人のカクテルをマスターがテーブルに準備されていたコースターの上に置いた。
「お待たせいたしました」
「有難う」
そっと差し出されたそれぞれの腕。手前に見えた、華奢な腕と指。それは、葵と呼ばれた彼の腕。
「葵、零すなよ」
「…誰が」
はは、と短髪の男が笑いながら葵と呼ばれた男と奥へ消えていく。
二人が消えたあと、津田はしばらく閉口していた。マスターが訝しく感じたのか津田に話しかける。
「ここ3、4回来ているお客様です。ちょうど先週は津田さん来てなかったから初見ですね」
目立つお二人ですから印象に残るんですよと呟いていた。店内のジャズの音さえ、津田には聞こえていない。
「へえ…」
そう答えるのが精一杯だった。
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