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[二]
暗い。夜が来たのだ。嫌だ、まだ来てほしくない。まだ、帰ってきて欲しくないから。
聞こえる、聞こえる。扉が、開く音が。嫌な、音が。
目を瞑る。耳を塞ぐ。体を縮める。お願い。早く、朝が来て――
――嫌な事を、思い出した。
どれだけこの街に居ても、どれだけ雨に濡れても、忘れられない記憶。忘れたいのに、そんな記憶ばかりが残っている。
否、そんな記憶しか、残っていない。
胸元のペンダントを、服の上から握る。大丈夫、もう過ぎた事だと、言い聞かせながら。
意識を切り替えるように、ゆっくりと目を開く。机に伏せていた顔を上げ、壁にかけられた時計を見た。
時刻は明朝。昨晩は日付が変わるまで出かけていたから、全く眠れていない事になる。
身体を伸ばし、周囲を見る。エクヴォーリの拠点である此処には、他にも同じように寝ている少年少女の姿があった。
しかし、エクヴォーリの頭である、フィラフトの姿はない。
珍しい。何処かに出掛けているのだろうか? まあ、俺には関係ないか。
ペンダントを取り出し、眺める。小さな、軽い蒼玉が揺れた。――彼女と、もうどれだけ会っていないだろうか。
雨音が、聞こえたような気がした。
エクヴォーリ。
それは、俺が数週間前から参加している組織の名前だった。
発展を遂げた観光街、明星街とそれを取り囲む廃墟街、暁闇街。見た目は大きく変わるが、本質は変わらない。黒く、暗い、闇の手から護る為に作られた組織。
あの日にも、こんな組織があれば、なんて。
そう思ってしまうのは、ただの結果論だろうか。
「ルカ?」
名前を呼ばれ、思考が浮上する。
人がすれ違い、喧騒や嬌声が響く明星街の朝。いつの間にか立ち止まってしまっていたようで、チーシャオが俺を心配そうに見ていた。
「……何かあったか?」
つまらない思考を振り払い、尋ねると、チーシャオは「あ、いや……ぼーっとしてたから」と答えた。
どうやら、余程長い間立ち止まっていたらしい。きっと、寝不足で調子がおかしいのだろう。
「何でもない」そう言って、かぶりを振ろうとして――やめる。視界に、明星街の路地には珍しくないグラフィティアートが写る。
昨晩の事が、片隅で些細な警鐘を鳴らしているように思えた。
「……やっぱり、頼みがあるんだが」
エクヴォーリで、唯一話しかけてくれるチーシャオ。
何故か、彼を連れて行かないと行けない気がする。躊躇う、理性と言う名の足枷を振り払う。
「何も訊かずに、港についていってくれるか?」
港は、潮風が酷かった。
気持ち悪い。磯の香りが寝不足の身体には堪えるからだろうか。あるいは、この後起きる事を予想すると、とても平常では居られなかったからかもしれない。
「……居た」
港に転がった幾つものコンテナに身を隠し、呟く。少し先には、フィラフトや、幹部のライラナ等の姿があった。昨晩の予定通り、その手にはビスケットが大量にある。
杞憂だったか。否、杞憂であって欲しい。
「ねぇ、ルカ!」
チーシャオに肩を叩かれ、目を向ける。その先には、何人かの男等が居て――絡まれ始めた、と。
そう思った、瞬間だった。
車――確かベントレーと言ったはずだ――が停まったのは。
息が、止まる。
この街で、あんな車を持っている人間なんて、一人しか知らない。ドアはゆっくりと開き――程無くして、銃声が鳴り響いた。
車の中の人物。彼が、応対していたフィラフトを撃ち殺したのは、明白だった。
そして、杞憂では、すまなかった事も。
神は死んだ。
少なくとも、誰かにとって彼は神だった。
しかし、彼は神などではない。神など、この街に居ない。
だから、死ぬのも時間の問題だった――はずなのだ。
なのに、どうしてだろう。
こんなにも、苛まれるのは。
頭の中で黒く濁った雨が、強まる音がした。
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