終着点

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終着点

[五]  俺は、チーシャオに全て話した。  俺がドゥーショのスパイである事。俺がエクヴォーリの情報を細かに流していた事。……俺に、人質にされている妹がいる事。  チーシャオは深く訊かず、代わりに俺を真っ直ぐと見た。 「僕は守る為に命を差し出したい」  知っている。彼自身は知らなくとも、俺は彼がそういった人物である事は、よく分かっていた。 「僕に、君を、君の大切な人を、守らせてほしい」  チーシャオは少し息を吸った後、「リーザちゃんは、僕に任せてほしい。きっと、助けてみせるから」  彼ならきっと、やってくれる。 「……任せた」  後は、この抗争でエクヴォーリが勝つ事で、俺の中の雨はやむ。  明星街。夜、龍雨園に向かう道を俺は駆けていた。冷たい雨粒が身体を濡らすが、そんな事は関係ない。高揚する感情を前には、些細な問題だ。  長かったこの雨に、僅か一日で切れ目が見え始めた。  こんなにも上手く行って良いのだろうか。  否―― 「こんなにも上手く行くはずが無い事。分かっていたよな?」 「――ディアル」  背筋が寒くなる。浮かび上がる疑問を呑み込み、ゴミ箱や空き瓶が溢れる路地に、彼は居た。  雨音が急に耳障りになり始める。  足は何故か――否、恐怖心から、ディアルの方へと向く。たった一歩なのに、別世界に入ったようだった。 「ディアル、さんだろ? ま、この際、細かい事は良いか」  前見た時と、変わらない。飄々としていて、裏が見えなくて。「何で、此処に……」 「おいおい、お前一人なんかに潜入捜査を任せるわけないだろ? お前の本分は、潜入じゃなくて情報を盗る事なんだから」  ディアルの答えに、納得が行く。  いや、当たり前の事だった。寧ろ、何故気付かなかったんだ。  頬から伝った雨が、地面を黒く染めた。 「なぁ? お前、オレの有り難い忠告を聞いてなかったのか?」  不意に、影が落ちた。  ほんの数秒で、目の前にまで近付かれていて。下がりたくなる気持ちを抑え、ディアルの目を射抜く。 「俺は、もうドゥーショをやめる」  口内が乾くのを感じる。時が止まったようだ。  遠くの喧騒が俺達を介さないように、世界さえも俺達に介さないようで。  現実へと引き戻されたのは、ディアルが口を開いた事でだった。 「大事な大事な、唯一の妹は?」  来ると思っていた。「妹の事なら――」 「頼んだ? 頼むなら、もっと良いやつにした方がいいぜ?」  耳を疑うと、ディアルが近くのゴミ箱を倒したのは、同時だった。  轟音が響く。水溜りが跳ねる。鈍い音。呻き声。 「チーシャオっ!」  ゴミ箱から――それこそゴミのように転がり出たのは、信じたはずの友人だった。  ディアルは、チーシャオの頭に足を乗せる。僅かにチーシャオの呻きが漏れた。  俺のせいだ。俺の。俺が身の丈知らずの幸せを願ったから。また、大切な人が。 「まあ、安心しろよ。今ならまだ、間に合う」  動揺を読み取ったように、ディアルは笑う。「オレは、前にも言った通り優しいんだ」 「……どういう事だ」  ペンダントに伸ばそうとした手を、やめる。ペンダントはもう、無い。行き場を失くした手を、パーカーのカンガルーポケットへ突っ込む。代わりに当たった何かを、握り締めた。 「この男を殺されたくなければ、ドゥーショをやめるな。金輪際、な」  一際、ディアルは口角を上げた。 「それは……」  雨が煩い。雨だけが、煩い。  他の音はノイズとすら感じられない。息が上がる。心音が速まる。 「早く決めろよ? オレは気が短くないが、長くもないんだ」  この人を倒すことなんて、出来ない。そんな事が出来ていたら、俺はとうにドゥーショを抜けている。  俺が、出来る事。最善策は、何だ? そもそも、何でこうなったんだっけ。 「ラストチャンスだ。どうする?」  ――そうだ、元々、俺の我儘だったんだ。  ずっと一緒に居たい、だなんて。  そのせいで、巻き込んでしまった。  それならば、悩むまでなく、取る行動は決まっている、 「――分かった」  掠れる声で、呟いた。 「ドゥーショはやめない。だから、そいつに手を出さないでくれ……下さい」  後悔は、ない。  後戻りは出来ない。否、元から後戻りなんて出来ないんだ。 「正解だ」  ディアルはチーシャオを蹴り飛ばすと、俺の後ろに立った。さっさと来いと言わんばかりに。 「また、本部で人質や商品から情報を盗る仕事がメインになるだろうな。いいじゃねぇか、たったそれだけで済むんだから」  ポケットの中で、手を握り締める。あの、最悪な記憶を覗く時間が来るのか。耳を塞ぎたくなるような記憶を集め、蒐める時間が。  しかし、それを選んだのは自分なのだから。 「さて、仕事の時間だ」  その言葉で、切り替えるのだ。切り替えなければ、この世界では生きていけない。 「ガキ共が死ぬ前に、情報抜いてこい。それ位、簡単だろ?」  対象が、少し話した事のある人間に変わっただけ。  なんて事のない、つまらない仕事だ。
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