トリップ 1/2

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「山野さん。ちょっといい?」  山野知佳は自分の名前を呼ばれ、先輩社員である羽田に向きなおった。 「なんですかぁ」知佳がまぬけな声で返事をする。 「仕事頼みたいんだよ。取り合い、見て欲しくって」  取り合い。ここでの取り合いとは機械メーカーの業界用語であり、部品間の寸法関係を検討することを表す。  羽田は目の前にあるモニターを指差した。モニターには朝日山農機が得意とする田植機が表示されており、知佳はキャスター付きの椅子に腰掛けたままスケートボードよろしく羽田の座席に近寄る。その怠惰な様子に羽田はわざとらしくため息をついた。 「座ったまま来るんじゃないよ。はしたない……。まあいいや。これ見て」  羽田がマウスをスクロールすると徐々に田植機の足下が拡大表示され、コックピットへの騎乗を手助けするステップ部分が専念された。ステップは黒い樹脂製で表面には指先大の突起が幾重にも伸びており、スパイクが滑り止めの役割を果たしている。 「設計変更ですか?」羽田は黙ってうなずいた。  羽田や知佳の業務内容はCADを用いた機械設計である。パソコン上に架空の機械部品を作り出し、機種によっては数百を超える部品を組み立てて朝日山農機であれば田植機を作り上げる。実部品の製作には時間も金もかかるため、あらかじめパソコンで仮組立することで設計の不具合を早期発見し余計な出費を抑えられるのだ。  羽田のような中堅社員であれば機械全体の組立性やメンテナンス性を視野に入れて設計業務を遂行し、新入社員である知佳は部品単品の図面作成や不具合修正を受け持つことになっている。 「新潟のお客様がな、ステップを踏み外して腰から落ちたらしい。幸い全治一週間程度の軽傷で済んで一安心なんだけれど……」耕した土がクッションとなり大事には至らなかったのだろうと羽田は想像する。  話はここで終わらなくてと羽田が続ける。 「例のお客様がたいそうお怒りで『ステップがもっと大きければケガもしなかった!』とクレームだよ。誠実な対応を求められてる。かれこれ五年は使用されてるけど転びそうだとか、不安定だとか聞いたこともなかったのに」  知佳は数回、目をぱちくりとさせたのち真顔で「年取ったから筋肉が弱ってバランス崩しやすくなったりしたんでしょ」とあっけらかんに言ってのける。 「馬鹿、仮にもお客様だ。そんな考え方してるといざ顧客に対面したとき態度に出ちまうぞ」  羽田は眉間にしわを作るが、知佳はどこ吹く風といった表情でなんなく返す。 「うちの会社、商社通すから農家の方に直接会うことなんて滅多にないじゃないですか」 「た、たしかに」知佳にうまく言い負かされてしまい、羽田は紅潮を隠すため口元を手で覆った。このとき、知佳は羽田が受けであることを確信した。 「それに万が一のときには黙ってニコニコしてますよ」としたり顔の知佳。  周囲から「夫婦漫才だ」「よっ、口達者!」と野次が聞こえ、羽田は体が熱くなる。 「山野さんのドヤ顔ほどムカつくものはないよ。お前が男ならこぶしの一つでも落としてやるのに」  羽田はわざとらしく大きな息を吐いた。 「冗談はさておき仕事の話に戻そう」  羽田がマウスを数回クリックすると呼応するように単品のステップ部品が現れた。しかし、単品部品は田植機で見たステップ部品よりやや大きい。具体的には短手方向が倍くらいの長さになっている。 「設計変更自体はしておいたんだ」 「足場が大きくなって昇降しやすそうですね。これならきっと文句も言われないです」  知佳がうんうんと満足げに頷き、それから小首を傾げたのち、はっとした表情を作り疑問を発する。 「羽田さん。これじゃ取り合いの検証になってないじゃないですか。大きさの変更だけなら図面に修正かけて終わりになります」  胡乱げな目線を寄越す知佳。 「よく見てよ山野さん」  羽田が変更前後の部品を左右のモニター二台に表示させ知佳に見比べさせる。しばらく両者を眺めた知佳は「あ、なるほど」と納得の声を上げた。 「穴径も大きくしたんですか」羽田が首肯する。  ステップ部品には長手の両端面に丸穴が空いている。丸穴にはL字に折れ曲がったパイプ部品が挿入され、パイプ部品が田植機本体に溶接固定される。つまり田植機がパイプ部品を支え、パイプ部品がステップ部品を支えているのだ。そうすることでステップ部品は空中に固定され、人間の昇降を手助けすることができる。 「だからね。ステップの穴を大きくした分、パイプも大きくしてあげなくちゃいけないんだよ」  パソコン上で新ステップ部品と旧パイプ部品を組み付けてみるが、巨大化した穴に対してパイプ外径が小さいためにうまくかみ合いそうにない。  架空の組立部品を実物で再現しようものなら、コックピットへ搭乗するため片足を預け体重をかけた途端に非固定のステップ部品はくるくる回転し不安定で、まるでサーカスのピエロだ。 「なるほど、なるほど。羽田さんが更新したステップ部品とマッチするよう、私がパイプ部品を設計し直して『取り合い』を確認すればいい訳ですね。任せてください。この程度の仕事、朝飯前にあくびが出ますよ」  羽田がうなってみせる。「ほー、言うようになったじゃない。ま、確かに山野さんには取り合いを見るなんて簡単すぎる仕事かもしれないね」  挑戦的な笑みを浮かべた羽田に対峙して、胸を張って答える知佳。 「先輩らしくどーんと構えててください。羽田さんは心配性の気がありますから。さあ、羽田さんはそろそろ打合せの時間では?」  うながされるまま左腕をかかげれば「本当だ。行かなくちゃ」と作業机からノートやペンをがちゃがちゃひったくる。 「品番はメールしてあるからチェックしといて。設変は図面更新もセットだからな忘れるなよ、頼むぞホント」  羽田は知佳の返事も待たずに設計室を飛び出した。会議室への道すがら、誤解や勘違いがなければよいのだけど。そう気を揉まずにはいられなかった。
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