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 あの日の映像が、渇きが、蘇る。  人生で初めの記憶は、酷い空腹と指先が冷たくなっていく感覚だった。  視力はほとんど無くなっていて、かろうじて見えたのは藪の葉が時折揺れる影だけだ。  耳だけが多少はまともで、あの藪の向こうに幾つもの呼吸が聞こえた。鼻は詰まって役には立たないが、あれが無数にある事くらいは嗅ぎ分けられた。  私が朽ちるその(とき)を、奴等はあそこで待っている。  近づいてくれれば食ってやったのに、あの距離から寄ってこない。  賢い連中だった。  幸い、背後は大樹が守ってくれた。  私はこの樹に守られ、この樹に命を与えられていた。  残り少ない命を背中に預け、安らかに昇天を待っていた。  そう、あの時私は、ここで生まれた。  あの日最後に聞こえた足音は、今日も、同じ場所から聞こえてきた。 「うんとこしょ、どっこいしょ」  奴は膝をつく私の横を通り過ぎ、割れた大木の間に手を差し込んだ。  白い手が引き抜かれると、真っ黒なベリーが大量に実った房を引き上げた。  やっぱり、仕込み。  ブラックベリーなど、この山では育てていない。  ネルはベリーを頬張りながら私の前に来ると、膝を折って顔を合わせてきた。 「食べる?」  俯ける私の口に、ベリーを差し出す。背けても、無理やり唇に押し込んでくる。 「ん? ん? どしたの? 食べないの? テルなのに」  うざったい手を手刀で払い落した。 「あいたぁ! こりゃ狂犬だわさぁ。あぁ、怖い。あぁ、恐ろしい」  一瞬にして青痣のできた手を、私の両脇に差し込んできた。 「でもこりゃぁ、よく育つべ? んなぁ? よく、育ったべなぁ」  あの日と同じ。  リフレイン。  それが無償に腹が立ち、重心をずらして自重をかけ、持ち上げさせないようにした。 「おっも! おっも! 筋肉ダルマになったべなぁ、テル」  どう力を入れても私を持ち上げられないネルは、「きぃぃいい」っと癇癪を起して去って行った。 「もう知らん! 馬鹿! 阿呆! 親知らず!」  お前も親知らずだろうが、糞豚。  ネルが歩き始めた時、やはり、同じタイミングで奴の足音がした。  二人はすれ違い際、簡単な言葉を交わした。 「ほらよ。交代」  ベリーの房をベルに渡した。 「いいの?」 「面倒くさい。帰る!」 「あっそ」  ネルは勢いよく走り去った。  ベルは嘆息して私の横へ来ると、割れた大木を眺め、テルの手を取った。 「もう少しないか、探してみよ? ブラックベリー嫌いなのよ。それと、ここ。良くないよ」  ベリーの房を渡され、引かれるがままに歩いた。  確かに、ここは心地が悪い。  私の背を担った唯一の安定は、事も無く瓦解した。  いつかはそのような日も来るのだろうけど、落雷など単なる確率論なのだろうけど、失うというのは気分が悪い。  また、別を見つけないといけないから。  ベルと山を歩いた。  彼女は悉くベリーの在処を知っているようで、的確に自生場所へ向かっていく。  でも、無理だ。私は、ここの管理者。どれだけの量がどこにあったのかを覚えている。  見つかったベリーは全て灰となっていたが、それを到着よりも前から予想できていた。  ベルはどこまでも探す。無駄なのに。  時間が刻一刻と迫るにつれ、私は緊張を始めていた。  今、私の手にベリーがある。  無論、これはネルの仕込みなのだから輸入品だが、「自生限定」などというルールは設定していない。  つまり、私の勝ちだ。  ベルの背後で、見えないように口元を尖らせた。  その時だった。 「ほうら、私の勝ち」  ベルは口でも喉でもない、腹の底? 聞いた事のない場所から轟とした声を出したのだ。  心臓が唸った。  何?  私、今、見られたの?  いや、違う。前方に、山小屋が見えた。  武器庫にしていた野営地。壁のザラ板は崩れていたが、内部を鉄板で防弾仕様にしている為、かろうじて建っていた。  時間は、後三分もある。  あぁ、駄目だ。  あそこは、駄目だ。  小屋の扉を開けた瞬間、私は察した。  負けた。  床には何も無い。でも、武器庫の中から匂いがする。  私でなくとも気づく程、大量のベリーの匂い。  初めから、計算されていた。私の愚案を嘲笑する為にわざと時間を潰し、ネルのベリーを渡しやがった。  かっと頭が赤くなった。  足でも折ってしまえば、私の勝ちじゃないか?  ベルが一歩でも入室したのならば、その瞬間に拘束しようと身構えた。  だが、ベルは動かなかった。  頃合いを見て、腕時計を見た。 「あぁ、時間だね。テルの勝ち」  意味が分からない。 「ネルは食べてたから、一応ベリーは獲得って事ね。じゃ、私が、テルにあげなきゃね。お金」  何を言っている?  意味が分からない。  呆然としていると、雲が集まり闇を落とした。  湿気の匂いが風に運ばれてくる。  夕立か。  瞬く間に豪雨がやってきて、とりあえず、私達は山小屋に退散した。  私は座り込み、ベリーを抱きしめていた。
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