支配

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 好きな人のことを独占したいと思うか、あるいは相手の気持ちを尊重したいと思うのかは人それぞれだし、どちらが正しいとか正しくないとか言うつもりはない。でも、あたしとしては、ある程度前者の考えを支持している。別に、相手にも同じ気持ちでいてもらうことまでは望まないけど、あたしはいつも好きな人のことを考えて生きていたいし、そのタイミングと相手が自分を求めるタイミングが合致することほど、嬉しいことはないと思う。だから、自然と相手がそう思ってくれるタイミングを増やしたいと思うし、そういう意味で言えば、あたしにとっては森羅万象、有象無象、あたし以外のすべての存在がライバルだ。  恋人の食欲、睡眠欲、性欲その他の欲望をできるだけ、あたしによって満たしたい。他の存在によってなど満たされてほしくない。けれど、現実はそうはうまくいかない。相手の社会性をある程度維持した状態で、かつ意識の大部分をあたしに振り向けてほしいからだ。そう思うと、窓のない地下室とかに、船の錨を結ぶような鎖のついた首輪で相手を縛り付けるとかは現実的じゃない。「あら、目が覚めた?」なんて、相手のことを殺したりしてなきゃいずれ目覚めるのなんて普通のことじゃないか。そうじゃなくて、拘束せずに世に解き放った状態でも、あたしのことを好きでいてほしい。かつ、あたしは相手のことを想うことで絶えず満たされていたい。それは何の混じり気もない、純粋なる願いなのだ。  まずは、肝心の相手が必要だった。けれど、これまで出会った男のほとんどは、缶詰に詰められ高温殺菌されて、つん、と箸の先でつついただけで身がぼろぼろと崩れる魚の切り身みたいなヘナチョコばかりだった。あたしよりも男をたぶらかすスキルの高い女がちょいとつついただけで、あっけないほど簡単にあたしのもとを離れていった。あたしはずっと、他の女との間で繰り広げられる、男の取り合い勝負に負け続けている。悔しいとは思えども、整形外科医に金を積んで顔にメスを入れる稼ぎもなければ、度胸もなかった。  それでも、あたしはこれでもう何度目かわからない、男との手の取り合いをするに至った。マッチングアプリで出会った、まだ大学を出たての、三個年下の男だった。仕事帰りに待ち合わせると、まだ七五三みたいにスーツに着られながら現れる。それはそれで見ものだったし、あたしは精一杯、年上彼女として余裕ぶって振る舞う。職場の飲み会で酔い潰れて部屋にやってくることもあるけど、赤ん坊を寝かしつけるように、甘い言葉を囁く。あんたなんかあたしなしで生きていけなくしてやる、という邪な気持ちを胸に抱きながら。 「って思ってたんだけどさ」  休日。いつものようにあたしの家にやってきた彼を、後ろから抱きすくめながら、耳元で呟く。 「なんですか」  少し声を揺らしながら、彼は続きを促してきた。いい加減敬語で話してくれるな、と何度も言っているのに、それはまだできないのだという。 「ある日、はたと気がついたわけ」 「何にです」 「あんたなしで生きていけなくなってるのは、あたしの方だって。あんたに気持ちを奪われているのは、あたしの方だってことに気づいた」 「……」  彼は答えなかった。少しくらい気の利いた返事をしてくれればいいのに、という気持ちにもなったが、そこはせめて、年上としての貫禄を見せつけてやらなければいけない。つくづく思う。あたしは女として生きることに向いてない。  なんかよくわかんないけど、負けたわ。  不思議な可笑しみが、あたしの顔を笑みに歪めた。
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