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子どもの頃、親や周囲の大人たちから、「他人が嫌がることは、しちゃいけないよ。互いに、助け合わなきゃいけないよ」という言葉を、度々聞いた。
そして、それはとても大切なことであり、守らなければならないことではあるのだが、実際それを完璧に実行出来る人間は、おそらくかなり少数だろう。
少なくとも俺は、自分が『そういう人間だ』と胸を張って言う自信などない。
――けれど、中には『そういう生き方』をしている人間も、少なからずいるだろう。
そして、この男からは、『そんな人間のオーラ』を感じた。
「……昔、死んだ父がよく言っていたんです。『情けは人のためならず』だと。
人に親切にすれば、その行いは、いつか必ず自分に返ってくるのだと。そして私は、その言葉が大好きだった」
「……でも、現実は、その限りじゃない」
俺が目を細めると、男は、「ええ」と力なくうなずいた。
「……私は、悪い人間に騙され、利用され、利用され、利用されて――いつの間にか、多額の借金を背負わされていました。
そして、その時の私には、もう、『死』という道を選ぶ他に、選択肢がなくなっていました。
……善人と馬鹿は、紙一重でした」
男が、わなわなと唇を震わせる。俺は、それについては深く触れず、ただ「そうか」と短く言った。
同時に、その男から、何か大きな『悲しみ』と――『悪意』のようなものを感じた。
人が何かに裏切られた時、絶望の中で発生させるタイプのものだ。
男の様子を、じっと窺う。
すると男は――目を見開き、俺に、ぐい、と顔を近づけた。
「……私は、私の生き方が、間違っていたとは思ってはいません。実際、その『正しさ』を信じている人は、たくさんいるはずです。
……けれど、後悔はしているんです。その結果として、私は『こう』なってしまったのですから。
私にも、『幸せ』になる権利は、あったはずです。
……そしてそれは、今からでも、きっと、遅くはない」
じわ、とその表情が歪んだ。
「――ねえ。私のために、死んでいただけませんか?」
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