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・宿借。
息をゆっくりと吐き出して、ノートパソコンを閉じる。椅子に深く腰をかけながら眼鏡を外し、手元のスマートフォンに目を向けると、時刻はすでに、午前0時を回っていた。
近頃は家に仕事を持ち帰ることも多くなっていたが、今日のノルマがひとまず無事終わったことに、安堵する。
この時間なので、妻も息子もとっくに眠ってしまっているが、俺もこうしてはいられない。明日の朝も早いのだ。
とりあえず、ビールでも飲んで、さっさと寝てしまおう。――そう思い、リビングに顔を出した、その時だった。
思わず、「う」と呻き声を上げてしまう。
テーブルの、上。
そこに、真っ黒い着物を着た男がひとり、微動だにせず立っていたのだ。
「…………」
唾を飲み込む。
男は痩身で、髪は薄く、おそらく俺より一回り以上は年上だろう。
辺りは薄暗く、表情は良く分からなかったが、その顔は明らかに、俺のことを見ていた。
額に、うっすらと汗が浮かぶ。
唇を噛みながら喉を鳴らし、息を殺し、何事もなかったように部屋の電気をつけ、冷蔵庫に手をかける。
――と。
その瞬間、男の頭がぶわっと動き、ねじるようにして、なおも俺に顔を向けてきた。
その首は、すでに物理法則を無視した角度になっており、めぎ、めぎ、という、聞いたこともないような音を立てている。
それでも、俺は――椅子に座り、冷えた缶ビールのプルタブを起こし、口をつけた。
「……いい加減にしてくれないか」
泡を舌の上で転がしながら、ゆっくりと顔を上げる。
すると、彫りの深いその顔が、静かに瞬きをし、「やはり」と声を上げた。
「……やはり、あなたには、私の姿が視えている」
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