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仕合をする場所は、金倉橋を渡った所に細長く存在する空き地だった。幅は十歩ほどで、奥行きは百歩ほどだった。川沿いに桜の木が並んでいて、背の低い雑草が生えていた。桜には一輪の花さえない。代わりに、彼岸花の赤が目に鮮やかで、鮮血のようでもある。その風景は、あの世を思わせなくも無い。
弁助は、仕合場の真ん中に立ち、木刀を中段に構える。
「又やん、おいの前に立つんじゃ」
又八は、弁助の指示に喜んで従う。まるで可愛い犬のようだ。
弁助は、又八を見て喜兵衛を想像しようとしていた。だが無理があった。衣装は派手だが猪武者のような喜兵衛と、頭の端で前髪を纏めているオナゴみたいな生っ白い小僧が同化する訳がない。いい匂いもするし背の高さも違うので、居ない方がマシに思えた。
「又やん、やっぱりええわ。どっかで遊んできぃ」
弁助の連れない言葉は、又八を傷つけた。トボトボと川の方へ歩いて行く。その姿は哀れではあるが、弁助には気遣っている余裕はない。
実は弁助は、何も無い空間に有馬喜兵衛を作ろうとしていた。それは、阿闍梨の行法に似た物で、座禅の様に無になるのではなく、無から有を創り出し神妙に至る鍛錬法だった。まぁ、小童の弁助がそれを知る訳もなく、本能的にできる才能だった。宮本武蔵は幼少期から天才だった。
弁助は、木刀を中段から正眼に構え直す。つまり、切っ先を架空の喜兵衛の目の高さに直した。喜兵衛の像が、現実味を帯びて行く。少しずつ、血肉のある実像に感じていた。臭いすら感じてしまう。
喜兵衛は、木刀を上段に構える。左足を前に出し、頭頂部に右拳が来る独特の構えだった。剣先は左側に羽根を広げる様に伸びている。
互いに呼吸を読み合い、その時が来た。その瞬間、喜兵衛の木刀が弁助の頭部を襲う。
「うわっ!」
弁助は、呻きながら尻餅をついた。現実ならば、頭骨を割られていただろう。あの斬撃から想像すれば、当然の結果だった。弁助も木刀を振り上げ、剣の側面で喜兵衛の木刀を擦り上げようとしたが、簡単に弾き飛ばされてしまった。
「こりゃいかん」
弁助は、今度は後方に下がり、喜兵衛に空振りさせようとする。だが、虚像の喜兵衛は機敏に対応し、弁助は喉を突かれて悶絶する。
更に、横に躱して側面に回り込む手も試したが、喜兵衛の木刀に追尾され、こめかみを殴打された。
息が上がり、嫌な汗をかいた。弁助が見た喜兵衛の稽古での動きが、超えられない強敵を作っていた。
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