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ゾラと別れて自宅に戻り、ぼんやりと考え事をしていた。水を飲もうとペットボトルに手を伸ばした時、外で足音が聞こえた。フェンやゾラのものでもない――重いものだ。すぐに全身を透明化し、息を潜めた。
「いるんだろ? ……『先輩』」
音の主は、そう言った。
顔は逆光で見えない。家を訪ねてきた割に、敵意はなさそうに見える。しかし絡まれたら面倒だ――居留守を使わせてもらおう。
「情報屋のヒューゴ、って言えば分かるか」
続けて、彼はそう言った。
俺は立ち上がり、声の主の方へ歩いていく。数メートルのところまで近づき、その顔を睨めつけた。
「……あァ、お前か」
彼の目の前で透明化を解く。しかし彼は大して驚いた様子もなく、少し眉が動いただけであった。
俺が口を開くよりも先に、彼が話を始めた。
「フィラフトが殺された。やったのはザノだ。……フィラフトは、俺のダチ公だった」
ザノ、というワードに反応してしまう。
仮にも組織の頭目を始末するのに、ドゥーショの末端が関与したとは考えにくい。幹部か、それ以上か――と思っていたが、どうやら事態は思った以上に深刻なようであった。
だが、死は死だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「ダチ、ねェ……」
至極興味がない。美談に付き合う暇もないし、その言葉の真意も読めない。溜め息混じりに口を開く。
「何しにきたのかは知らねぇが、そんなものは割り切るしかないだろ――」
そこで一つ、脳裏に去来したものを捕まえた。
「……待て、『先輩』って言ったか、お前」
彼は何も言うことなく、煙草に火をつけた。シドを思い出して、気分は更に悪くなる。
ふぅと紫煙をたっぷり吐いて、彼は問いかけてくる。
「……こんな賭けがあるとする。明星街のしがない情報屋が、単身ドゥーショのアジトに乗り込んで、ザノの大将首を獲ろうとしているという。……お前は、どっちにベットする?」
彼の言わんとしていることは、全部分かっていた。煙に巻く答えはできない。今のコイツは、あの時の俺と似ている。
「勝ち目のねぇ賭けはしない主義だ。……だが、俺に止める権利もない」
「……教えてくれ。あんたは、シドを殺した時、何を思った」
数秒だけ、目を閉じた。息を吸い込むと、あの日の香りが蘇るようだった。シドの首を切った感触が、未だ両手に残っている。
「静かだったよ」
短く息を切った。
あの日は、冷たい雨だった。
「……静かだった」
そう告げると、ヒューゴはそうか、とだけ言い残して、どこかへ行ってしまった。否、大体の見当はついている。
「……馬鹿げた話だ」
ヒューゴしかり、フィラフトしかり、愚鈍の集まりか。ビスケットを配っていたチーシャオという少年が可愛らしく見えてくる。現実を見ろよ、俺たちみたいに細々と生きろよ――世界はひっくり返らねぇんだよ。
そこまで考えて、俺は思考を放棄した。考えるだけ無駄であると思ったためだ。それに、誰が死のうが何も変わらない。例えザノが死んでも、ヒューゴが始末されても、エクヴォーリが潰れても。
俺さえ生きていればそれでいいんだ。
淀み切った気分をリセットしようと不貞寝することにした。
それから三十分ほど、寝返りを打ったり伸びをしたりして寝ようとしていたが、寝られる気がしない。ふと壁際を見て、飲み水が少なくなっていることに気づく。ゾラと街に出た時に調達するべきだった――と思って、気づいた頃には立ち上がっていた。
「……水は大切だからな」
そう、自分に言い聞かせた。
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