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壁に手をつきながら立ち上がる。やはり気分は最悪だ。しかし脳内麻薬が分泌されているのだろうか、不愉快ではなかった。
「……まだ戦うつもりか」
「その、通りだ」
彼は深く溜め息をついた。
「どいつもこいつも、馬鹿の一つ覚えみたいに――」
彼の目が俺を見据えた。
あの時の、シドのように。
「――この街では、私が正義なんだ」
分かっている。厭すぎるほどに。
それが俺を苦しませた。
此処は人間の墓場だ。
「……お前も、シドに似てきた」
「そうかな、自分のことは中々気づけないものだ」
俺は、俺たちは世界に取り残されている。
覚束ない足を叱咤し、俺はザノに襲いかかる。繰り出した右拳を左手でいなされ――即座に膝が飛んでくる。左手で受け止めたが、ザノの持っている拳銃は、俺を向いていた。
「クソがッ……」
首を目一杯曲げて避ける。耳が切れたのだろう、一瞬だけ火傷したような痛みが走る。拳銃で殴打。単純な鈍器にしても優秀だ――腕を掴み、力任せに体勢を崩そうとする。しかし彼の身体はブレない。
――なんつー体幹だよッ。
再度腹を蹴り上げようとしてきたため、咄嗟に距離をとってしまう。間合いにして四歩弱。拳銃相手にこの距離はマズいと思ったが、無闇に撃ってくる様子もない。
「まだ戦うのか?」
億劫そうなトーンが混じっていた。
ここまで来てヒューゴを見殺しにはできない。それに、今退がってしまったら、シドの一件で上がった俺の株が下がるのは必然だ。不本意な英雄であれど、不名誉を被るのは暁闇街の奴らに悪い。退がるという選択肢は、ここに乗り込んだ時点で潰えているのだ。
ザノが銃を構える。クソ、と俺は武器を求めてポケットに手を伸ばす。当然、ナイフなどといったものは入っていない。
しかし、何かが手に触れる感触はあった。
これは何だっただろうか。確か、これは――。
「……ザノ、俺は逃げさせてもらうぜ」
「ほう、それはありがたいな」
ちら、と彼はヒューゴを一瞥した。次に俺を見て、小さく溜め息をついた。
「こいつを置いていってくれると、更にありがたいんだが」
「そうすると思うのか?」
「いいや、思わない」
だから、とその双眸は俺を射る。
「――何を企んでいる?」
問いには無言で返した。
そうして、悠々と俺はポケットに手を突っ込んだ。一瞬、ザノが警戒するように目を細めた。
「安心しろよ、危ねェモノじゃねぇ」
「そうか」
「ただ――ちっと痛ェぞ」
「そうか」
ザノが撃鉄を引く。
すんでのところで避けて、ザノとの距離を詰める。しかし超近距離はザノの得意分野だ。半歩程度の空間を開け、なぎ払われた腕を避ける。一瞬、ザノと視線がぶつかった。ポケットから手を抜き出す。――それをザノに投げつけた。
「がッ……」
ビスケットの破片を払い除け、ザノは距離を取ろうとする。流石と言うべきか、銃口はこちらを向いている。しかし迷わず俺は追撃した。
銃声。幸運にもすべて違う方向に飛んでいった。低姿勢でタックルし、そのまま後方へ押しやっていく。背後には――殺風景な部屋に映える、一面のガラス窓。そこにザノを叩きつけた。ヒビが入る。頭を掴んで更に打ち付ける。小さな穴が空いた。再び、ザノと目が合う。
「きさ、マッ……!」
「ちゃんと受け身を取れよ――まァ、これでも死ななそうだがな」
胸に渾身の蹴りを放つ。
窓のヒビはみるみる大きくなっていき、ザノはそのまま重力に従って落ちていく。
「ユウヤ……ッ」
「じゃァな」
もう、お前と会うことはねぇだろう。
そう、信じたい。
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