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塩尻唯子(しおじりゆいこ)が通う高校の体育祭には、何故か競技種目に「借り物競争」が入っている。
借り物競争といえば普通、幼稚園か小学校低学年用の競技、もしくは園児児童の保護者が行う余興の定番のはずだが、その如何にもゆるいイベントが他の陸上競技の間に埋め込まれているのだ。それも、もう十年以上の歴史をもって。
種目名は「借り物競争」だが実質は「借り人競争」で、出場者はお題に適合する生徒と手に手をとって、ゴールテープをきる。出場者は他薦で、クラス内一、二の人気者が選ばれることが多い。そのことから、おそらく「スクールカースト上位の男子女子と僅かでもお近づきになれれば」という下心をもった生徒の発案から始まった種目と思われる……そんなことを言ってもしらけるだけなので、言及する者は誰もいないが。
六月初旬、晴天の日。その年も、昼食休憩の直前に借り物競争は行われた。
スクールカースト下位に族す唯子は当たり前に観衆の側で、クラス対抗の行方に全く興味がないこともあり、校庭中央のトラックに背を向け、グラウンドの端で友人からこっそり菓子などを貰いうけていた。
そこにだ。クラスみんなの王子様的存在の男子、鹿内駈(しかないかける)が唯子のいる方向へと真っすぐ駆けてきた。
「塩尻さん、来て!」
三メートルむこうの駈にそう呼びかけられ、唯子は一瞬、手元のチョコレートに目をやった。
これが目的か?お題は「人の競技中に菓子を食ってる生徒」?そんなお題にひっかかって先生にバレたら、嫌味のひとつふたつ言われそうだ。
「これ、お題」
駈が自らの前で広げてみせたA5サイズの紙には、「眼鏡をかけた女子」と黒マーカーで書かれていた。
そういえばウチのクラス、わたし以外、目の悪い子みんなコンタクトだもんね…。合点のいった唯子はチョコレートを友人に預け、差し出されたすんなりと指が長く細い形の良い手をとろうとした。
「ちょっと待ったぁ!!」
王子様の手にあと数センチで触れるというところで、邪魔が入った。駈のとなりには、クラスみんなの王子様的存在の男子その二である鷹取颯(たかとりはやて)が息を切らして立っていた。
「塩尻は、俺と来い!」
そう颯に言われた唯子は、即座に苦虫を噛み潰したような顔になった。
この颯という男子を、唯子ははっきりと嫌いだった。顔や見た目の雰囲気だけであれば、駈よりも好み…それどころか、好みのど真ん中といっても間違いではない男子だ。しかし、彼の態度と言ったら、不遜、横柄、傲慢…。元々嫌いだったのが、最近、彼の態度を友人たちの前で徹底的に批判したところ、「私たちにはわりと優しいよ」と反論されてしまい、それ以来、ますます嫌いに拍車がかかった相手だった。
ということで、唯子は迷わず駈の手をとろうとした。
「だから待てって!おいっ、駈!お前がひいたお題、なんなんだよ?」
「これ、『眼鏡をかけた女子』。うちのクラスだと塩尻さんだけだから、譲れないよ」
「譲れよ!俺のお題は――…これだから」
颯は唯子からは文字が見えない角度で、自分が引き当てた紙を駈の前に差し出した。駈は紙を無表情でしばし注視した後、「あー…」と納得の声らしきものを漏らしつつ、ゆらりちらりと唯子を見た。だが、すぐに唯子から目を逸らし、「健闘を祈る」と一言颯に声を掛けると、違うクラスの生徒がたむろする方向へと走り去ってしまった。
「行くぞ、塩尻」
王子様その一に捨てられてしまったらしい唯子は相変わらずの表情のまま、嫌々颯の手を取った。クラス対抗の結果に結構本気の生徒も多いのだ。断るわけにはいくまい。
心と同じでどうせ冷たいのだろうと想像していた大きく筋張った颯の手は、以外と暖かかった。
颯と唯子の二人が判定員の前にたどり着いたのは、出場者六人中二番目だった。
判定員はマイク片手に、一着の走者が引いたお題を読み上げた。
「『苗字に数字が入る人』。間違いありませんか?」
スピーカーを通して校庭に響き渡るアナウンスを聞き、唯子は厭な予感がした。
もしかして、颯の引いたお題は「苗字に『尻』が入る人」、ではあるまいか?だとしたら、小学生の頃さんざんいじめっ子にいじられた過去が甦ってきそうで、かなり厭な感じだ。もしも「苗字に体の一部が入る人」ならいいが、それなら颯と仲がいい男子に首藤(しゅとう)というのがいたような気がする。ああ、さっき鹿内君が微妙な視線で自分を見たのは、こういう理由だったか…。
唯子が勝手に薄暗いオーラを纏い始めているうちにも、颯は判定員にお題の紙を渡してしまっていた。紙を広げ内容を確認した判定員は、一旦マイクの電源をオフにし颯に訊いた。
「いや、書いたのおれら実行委員だし、でも、いくらなんでもネタ切れだからって、これは……これ、マイクで全校に言っちゃっていいの?」
颯は明確に頷いた。
「そっちがいいって言うなら…」
そう言いつつそれでも些か及び腰気味の判定員は、『お題』本人である唯子の「待って」の素振りを全く気に掛けぬまま、殊更事務的に読み上げたのだった。
「『好きな人』。間違いありませんか?」
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