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「物静かではありますが、内に秘めたる魂は相当に熱いと見受けましたが」
「頑ななのだ、景勝は」
手取川を見つめたまま、謙信が言った。
「もう少し砕けなければ、下につく者たちは息が詰まる」
勝頼には景勝の気持ちが良くわかった。父が偉大すぎる故の重圧に打ち勝とうと、もがき苦しんでいるのだ。勝頼は精一杯の虚勢を外に発散する事で父の重圧を跳ね返そうとした。景勝は一切の感情を押し殺し、黙したまま重圧を自らの中に取り込んだ後に跳ね返そうとしている。
形は違えど、同じ苦しみと闘う景勝に勝頼は少なからず親しみを覚えていた。
「なぜ、織田軍は撤退を始めたのでしょうか」
勝頼は話題を変えた。
「手取川を渡れば七尾城はもう目と鼻の先です。そこに来ての撤退はどう考えても不自然だ」
勝頼の言葉に応えず、謙信は顎を擦りながら微笑んだ。そういえば、謙信の動きも不自然だ。松任城まで兵を進めておきながら進行しないというのは一体どういう意図があるのだろうか。ここから七尾城までは半日と掛からない距離なのだ。
そこまで思考し、勝頼は一つの答えに行き着いた。暗闇の中、光る謙信の眼と勝頼の視線が合わさった。
勝頼の表情で察したのか謙信は、「そうだ」と満足そうに言った。
「七尾城はすでに我らの手に陥ちているのだ、勝頼」
「やはり、そうでしたか」
「その情報が敵に漏れぬよう、徹底してきた。そして、敵が手取川を渡りきったという報を受けた直後に流してやったのよ。何故だかわかるか、勝頼」
「撤退する織田軍の背後を衝く為ですね」
言いながら勝頼は追い討ちに討たれた設楽ヶ原を思い出していた。勝頼の胸奥に苦々しいものが拡がった。
「どんなに強力な軍でも背後を衝かれれば脆いですから」
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