《97》

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「更に、川を背負えば動きに制限がつき、軍としての機能を失うのだ」  勝頼は夜空を見上げた。真上にある北斗七星を睨みながら父信玄と共にいくさ場を駆け回った日々を思い出していた。今の謙信と同じく、信玄も戦術の講釈をよく勝頼に聞かせた。その一つ一つが今の勝頼を形成している。 「来たぞ」 謙信の声に反応し、勝頼は眼下に視線を移した。闇の中に点々と松明の灯りが見えている。灯りの中で白地に木瓜を模した旗と白地に黒の雁を模した旗が揺れているのが見えた。 「織田軍だ。景勝は追い込みに成功したようだな」  松明の数が増えた。白地に『毘』の文字を大書した旗が何本も見えている。上杉軍だ。上杉軍は一矢乱れぬ動きで織田軍にぶつかり、押していく。喊声に入り交じり、いくつもの水音が聞こえている。手取川の淵で織田軍の動きが大きく乱れているのが見てとれた。敵の心情を操り、最良の機で撤退をさせ、手取川を背負わせた上杉軍。実際にぶつかり合う前に勝負はもう決していたと言えるだろう。  決戦の刻に夜を選んだところも謙信の周到さだと勝頼は思った。闇の中では織田軍最大の武器である火縄銃の狙いを定める事ができない。謙信は敵の一番得意を封じ込めたのだ。闇雲に突撃を繰り返し、次々と騎馬が鉄砲の餌食になっていった設楽ヶ原。嫌でも勝頼の脳裏に甦ってくる。 眼下に拡がる松明が謙信の顔を赤く染めている。父は、こんな男と戦い続けていたのか。自分は織田信長や徳川家康ごときに相当手こずっているというのに、なんだというのだ。越後の龍、甲斐の虎。自分たちとは格が違いすぎる。
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