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上杉軍の中に4つ、円陣が組まれた。円陣が回転するように動き、交替しながら次々と織田軍にぶつかっていく。半刻(約1時間)が過ぎた。眼下、毘の旗が地を埋め尽くしている。織田軍の姿が消えている。闇の中、ざわめきと手取川の流れる音だけが鮮明だった。
風が強くなっている。寒さが一段と増していた。
どこから取り出したのか、謙信が右手に瓢(フクベ)を持っている。
「わしなら4半刻(約30分)以内にすべて退けているが」
瓢を呷りながら謙信が言った。
「景勝も中々よ。兵の動かし方が一端になってきている」
「あれが噂に聞く車懸かりの陣ですか」
勝頼は言ってから唾を呑み込んだ。かつて武田軍を真っ二つに割ったという車懸かりの陣。勝頼が想像していた以上の破壊力だ。
「まだ形にはなっていないが、景勝はわしの全てを吸収しようと、今、必死だ」
謙信の死期を景勝は悟っているのだろう。なれぬとわかりながら目指すしかない景勝の苦しみ。勝頼には痛いほどよくわかった。
勝頼は謙信の前に回り込み、膝をついた。
「お約束致します、謙信殿」
勝頼は言った。
「俺は、何があっても上杉景勝殿を見放しません。謙信殿が居なくなった後も景勝殿を謙信殿と思い、見つめ続けます」
勝頼の眼前に瓢が差し出されていた。
「呑め、勝頼」
勝頼は瓢を受け取り、一息に呷った。腹がほんのり温もった後、すぐに全身が熱くなった。勝頼は立ち上がり、瓢を謙信に返した。謙信が瓢を腰の縄に巻いた。
「さて、明日は撤退だ。早く眠るとしようかのう」
謙信が言った。
「このまま越前に攻めいっても決して負けぬと思いますが」
「じき冬になる」
謙信が空を見上げて言った。
「冬になれば北陸は雪に覆われる。そうなってはいくさどころではなくなるのよ」
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