《97》

11/12
193人が本棚に入れています
本棚に追加
/284ページ
 上杉軍の中に4つ、円陣が組まれた。円陣が回転するように動き、交替しながら次々と織田軍にぶつかっていく。半刻(約1時間)が過ぎた。眼下、毘の旗が地を埋め尽くしている。織田軍の姿が消えている。闇の中、ざわめきと手取川の流れる音だけが鮮明だった。 風が強くなっている。寒さが一段と増していた。 どこから取り出したのか、謙信が右手に瓢(フクベ)を持っている。 「わしなら4半刻(約30分)以内にすべて退けているが」 瓢を呷りながら謙信が言った。 「景勝も中々よ。兵の動かし方が一端になってきている」 「あれが噂に聞く車懸かりの陣ですか」 勝頼は言ってから唾を呑み込んだ。かつて武田軍を真っ二つに割ったという車懸かりの陣。勝頼が想像していた以上の破壊力だ。 「まだ形にはなっていないが、景勝はわしの全てを吸収しようと、今、必死だ」  謙信の死期を景勝は悟っているのだろう。なれぬとわかりながら目指すしかない景勝の苦しみ。勝頼には痛いほどよくわかった。  勝頼は謙信の前に回り込み、膝をついた。 「お約束致します、謙信殿」 勝頼は言った。 「俺は、何があっても上杉景勝殿を見放しません。謙信殿が居なくなった後も景勝殿を謙信殿と思い、見つめ続けます」  勝頼の眼前に瓢が差し出されていた。 「呑め、勝頼」  勝頼は瓢を受け取り、一息に呷った。腹がほんのり温もった後、すぐに全身が熱くなった。勝頼は立ち上がり、瓢を謙信に返した。謙信が瓢を腰の縄に巻いた。 「さて、明日は撤退だ。早く眠るとしようかのう」 謙信が言った。 「このまま越前に攻めいっても決して負けぬと思いますが」 「じき冬になる」 謙信が空を見上げて言った。 「冬になれば北陸は雪に覆われる。そうなってはいくさどころではなくなるのよ」
/284ページ

最初のコメントを投稿しよう!