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「なに」
「さっきも言ったが、俺を雇っているのは、徳川家康と榊原康政だ」
半蔵が言って右腕を上げた。右手首から先に鉤(カギ)付きの義手が嵌め込まれている。5年前の武田とのいくさで半蔵は右手を失った。義手の鉤が音を鳴らしながら忠勝を指している。
「銭を払った者にしか、俺は仕事の成果を報告しない」
「くだらんな、忍は」
忠勝は口内に入った異物を吐き出す想いで言い放った。
「信用も全くできん」
「俺も誰一人信用していない」
半蔵が言って義手を顔の傍に寄せ、鉤の先っぽを見つめた。
「信じられるものは銭と自らの腕だけよ」
「本多正信と仲が良いらしいな」
忠勝は言った。
「黴のような者同士、よい取り合わせだ」
半蔵はまるで老人の彫像になったかのように皺だらけの表情を動かさない。半蔵とのやり取りなど早急にやめて、早く立ち去ればよいのに、忠勝は中々動くことができなかった。さっきから、ある想いが腹の底に湧いていた。それを言葉に出せないでいる。
「俺に、仕事を頼みたいのか、本多忠勝」
半蔵が言った。心を読まれた。狼狽が表情に出ないよう、忠勝は頬に力を入れた。隣で小助が忠勝の顔を覗き込んでいる気配がある。
「そんな事は……」
「岡崎城か」
言いかけた忠勝の言葉を遮るように半蔵が言った。
「お前は築山御前に相当嫌われている。ゆえに岡崎城に入る事は叶わない。それで、俺に潜入し、城内の様子を探り、石川数正か徳川信康のどちらかを城外に連れ出してきて自分と話をする場を設けてほしい、と。こういうわけだな」
忠勝の背筋に冷たい汗がつたう。気味が悪かった。服部半蔵は忠勝の内心をすべて言い当てた。
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