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「なんと、親吉殿が」
忠勝の口から驚愕の声が漏れる。平岩親吉は石川数正と共に信康の傅役を務めてきた男だ。親吉までそんなに酷い扱いを受けているとは、岡崎城内に巣食う不穏分子は着実に大きくなっているのだとよくわかる。
「石川数正殿はどうなされています?」
「数正はあまり母上とぶつからぬ」
俯いたまま信康が言った。
「うまく距離をとっているという感じだ。そうしながら数正は上手く政事を回し、母上の暴走を制御している」
岡崎城内には暗雲があっても町は明るい。住民たちの表情にも暗さは一切ない。石川数正の手腕により岡崎はぎりぎりの所で混迷の底に落ちずに済んでいるのだろう。だが、他方で石川数正をどこまで信用してよいものやらわからない。半蔵にもう一度頭を下げて石川数正をここに連れてきてもらうか。そこで、忠勝は半蔵の姿が消えている事に気づいた。
「なあ忠勝」
信康が力の無い声音で言う。
「俺は情けないな。どうにも岡崎を纏めきれん」
「弱気を申されますな」
忠勝は言って信康の肩に手を触れた。
「初めて俺の前に現れた時、若殿はもっと勝ち気な眼をしておりました。今こそあの時を思い出されよ」
「そうだったな」
言って信康が夜空を見上げた。黒い傘を着た月が寒々しい光を放っている。
「初陣の時、俺は誰にも負けぬと思い込んでいたのだったな。そんな俺の想いは本多忠勝により簡単にへし折られてしまったが」
薄い月明かりに照らされた信康の表情が幾分か明るくなった。やはり素直な男なのだ。
「自信を持たれよ、若殿。若殿は俺のしごきを耐え抜いたのですから」
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