《99》

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 筒井順慶が兵を率いて着陣した。続いて明智光秀と細川藤孝がほぼ同時に着陣した。 「あいやぁ、光秀殿。片岡城攻めご苦労でござった」 秀吉は光秀の傍に行き、揉み手をしながら言った。  光秀は無言で秀吉を見つめ、絶えずこめかみを動かしている。秀吉はどんな人間でもたらしこむ自信があった。が、この男だけは難しいと感じている。秀吉から見た光秀には好きになれる要素が何一つ無いのだ。いけすかない野郎。秀吉がそう思って接しているから節々、態度に出てしまうのだろう。いまだに光秀は秀吉に対する態度を硬化させたままだった。 「信長様、ご着陣」 その声を聞き、秀吉の背筋が伸びた。すぐ、信長から呼び出しがかかった。秀吉一人だけである。膝が震えた。書簡でのやり取りはあったが、実際に会うのはかなり久しぶりだ。加賀の戦陣放棄から数えて秀吉が信長と顔を合わすのはこれが初めてだった。  もうすっかり陽が暮れていた。陣所の方々で炊煙が上がっている。味噌の良い香りが漂ってきた。朝から食事らしい食事をしていないが、秀吉に食欲など湧いてこなかった。 ゆっくりと石段を登る。鳥居が近づいてきた。大粕神社。本堂に信長が居る。日程が伸び、命拾いしているが、信長から仰せつかった切腹はまだ解かれていない。戦陣放棄は重大な軍律違反である。いくら戦功をあげたからといってあの信長が一度決めた事を覆したりするだろうか。事ここに至って、秀吉の胸は不安に支配されていた。鳥居をくぐった。いくつかの、かがり火が焚かれ、10名ほどの兵が立哨している。正面、秀吉は神社の本堂を見据えた。これから信長と面と向かって話す。喉を鳴らし、唾を呑み込んだ。石畳の上、秀吉は一歩を踏み出した。足が、鉛のように重かった。
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