《99》

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 ふいに、本堂の扉が開いた。秀吉の心の臓が跳ね上がる。扉のところに南蛮具足で身を固めた信長が立っていた。信長の静かな眼差しからは何の感情も読み取る事ができない。時が止まったような、無言の対峙が続いた。息苦しさに堪えきれなくなり秀吉は地面に突っ伏し、体を丸めた。 「か、加賀の」 言ったきり、秀吉は言葉を紡げなかった。 「加賀の」 もう一度秀吉は言った。唇が震えて言葉にする事ができなかった。 「此度の乱平定後、中国毛利攻めに向かえ」 抑揚のない声で信長が言った。秀吉は顔を上げた。先ほどと変わらぬ静かな眼差しが秀吉を見つめている。 「秀吉、お前を毛利攻めの総大将とする」 「の、信長様……わしの、わしの切腹は」 「拠点には播磨の城を遣え。すでに、黒田官兵衛に軍需物質の調達を命じている」  秀吉は陸に上がった魚のように唇を開閉させた。言葉が出てこない。本堂の扉がぴしゃりと閉まり、信長の姿が消えた。 全身から力が抜けた。暫し呆然とした後、秀吉は仰向けに倒れこんだ。切腹は完全にたち消えた。しかも、中国毛利攻めの総大将に任命された。それに伴い、秀吉隊の兵力は増強されるだろう。数にしておそらく3万、少なくとも2万の兵を与えられる事になるであろうと予測できる。 竹中半兵衛、黒田官兵衛という天下の鬼才を二人も従えている。福島正則、加藤清正も段飛ばしに成長してきた。弟の羽柴秀長、石田正継、三成親子が長浜から太い兵站線を幾本も繋ぎ、後方支援にも憂いはない。  秀吉がずっと欲していた力がすべて揃おうとしていた。秀吉は夜空を睨みつけた。星が満開だった。秀吉の真上に北斗七星がある。 「いよいよ、実行に移す時が来たな」 秀吉は呟いた。畿内から中国に続く街道のすべての石を取り除いておこうと思った。そうしておけば、事が起こり、とって返す時早く畿内に辿り着く事ができる。
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