押しに弱いとか、

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押しに弱いとか、

目の前に居る人はいつもこう、何と言うか。 「じゃ、これ業務用のスマホな。私用とかで絶対使うなよっ」 「いや、あのさ、おじさ…」 「おじさんは止めろっ、コウさんと呼んでくれよっ」 浩一郎が何言ってんだ。 今年30になる目の前の叔父は、プリプリと頬を膨らませるがはっきり言って戸惑っているのは自分であり、正直この叔父をぶん殴りたいなんて物騒な事を思っている彼は百舌鳥宇汰(もず うた)、二十歳になったばかりの大学生である。 事の始まりは、この叔父、百舌鳥浩一郎(もず こういちろう)にある。 父の弟であるこの叔父はどちらかと言うと甥である宇汰と年が近く、幼少期や小学生位の頃までは割と面白い人だと思っていたのだが、宇汰も二十歳を超えてくると大体この叔父がどんな人間なのか嫌でも理解出来て来た。 面白いと言うか、ただの自由人だった。 何でも屋と言う胡散臭さMAXな生業をし、常にどこでも飛んで回り、それが県内であろうと、県外であろうとお構いなし。守秘義務だとどんな事をしているかも教えてくれた事は無く、金銭面で相談等された事は無いにしろ、兄である宇汰の父は結構そんな弟を心配していたのだが、去年あたりからまた新しい事に挑戦していたらしい。 そんな男が急に家にやって来たと思ったら。 「いやーバイトが急に止めちゃってさぁ。後が中々見つからなかったんだけど、いや、持つべきものはうちの甥、ってなぁ」 あはは、なんて人懐っこいいつもの笑みで笑って見せる浩一郎だが、宇汰の顔はどんどんと引き攣っていく。 「いや、マジでさ…何『愚痴聞き本舗』って」 「そのまんまだよ。愚痴聞くだけの簡単なお仕事ですっ」 「簡単なら叔父…コウさんがすればいいだろうがっ」 そう、浩一郎は新しく愚痴を聞くと言う仕事を新しく始めたらしいのだが、バイトが辞めてしまったと言う事でその仕事を宇汰へと回してきたのだ。 だが、実を言うとそんなに社交的では無いと自負している宇汰には非常に荷が重い。 口達者でも無ければ、聞き上手かと言われたらそれもどうだろう。 出来たらあまりそう言ったサービス業は向いていないと思うのだ。 だが、そんな事浩一郎にとっては知った事ではない。 「俺はー、何でも屋の方が忙しいしんだよ。それにさ、お前二十歳になって一人暮らし始めたばっかじゃん。物入りじゃね?」 「え…そりゃ、まぁ、そうだけど…」 「いくら甥っ子使ってるからって給料やらない訳ないじゃんか。ちゃんとお手当は渡すんだぜ?」 (えぇ…) 確かにそこを突かれると揺れ動くものはある。 別に家を出たかった訳では無かったのだが、一度は経験とこうして一人暮らしをしてみたものの、親からの仕送りでは少々厳しいと痛感していた。 学費を出してもらっているのもあり、仕送りを増やしてほしいとも言えず、バイトしなきゃなぁ…なんて思っていたのも事実。 だが、だが…。 「でもさぁ…やっぱ上手くいく気がしないよ、俺…」 「何言ってんだよ、自宅で出来るバイトなんて最高じゃねぇか。言っとくけど別に出会い系斡旋とかしてる訳じゃないんだぞ」 「そりゃ分かるけど…」 快い返事が貰えない事に浩一郎の方が焦りだしたのか、スマホを取り出すとささっと数字を見せた。 「時給はこんなもんだ。次に指名来たら指名料だって渡すぞ」 「……マジか」 スマホ上に浮かぶ金額は取り合えずと片手間にサーチしていたバイト先の時給よりもかなり良い。 指名料なんて期待は出来ないが、確かに家の中で愚痴を聞くだけでこれだけ貰えると言うのは魅力的で無いと言ったら嘘になってしまう。 (欲しかった電子レンジも買える…) 一人暮らしの際に近所からお古で頂いた物があったのだが、それが壊れてしまったのはつい先週の事。レンチン出来ないのは流石に辛い。 宇汰の脳内で天秤に掛けられる現金と不安。 勿論不安の方が傾きは大きいのだが、目の前の男はそんな葛藤を他所にどんどんと話を進めていく。 「大丈夫だって、宇汰。お前折角いい声してんだからさっ。年の割には落ち着いてるっていうか、穏やかっつーか」 ぽちぽちとスマホの設定を進め、ほいっとそれを手渡す浩一郎はにこりと微笑みながら、宇汰の頭を大雑把に撫でた。 やっつけ仕事にも思える仕草に宇汰の眉間に皺が寄るものの、昔からこの叔父から頭を撫でられるのは嫌いではない。 なんて、思っていれば、 「じゃ、そういう事でっ!取り合えず、今日からって事で。大体早くて19時位からな。詳細はメッセージ送るからちゃんと見とけよっ」 よろしくーーーーーーっ 「あっ!!ちょ、おじさ、」 半ば逃げるかの様に宇汰のアパートから飛び出していった浩一郎の耳にはもう宇汰の声等聞こえない。 握らされたスマホだけが残り、バクバクと心臓が音を立て始める。 (え、ええ…えぇぇぇぇぇぇぇ…!) 何故にこうも押しに弱いのか。 若干涙目になっている宇汰を笑う者も馬鹿にする者も居ないが、慰めてくれる者も居らず、ただごくりと喉を鳴らす音だけが響いた。
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