炭酸と弾ける

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「白居君待たなくていいの?つか、意外と脚も早いねぇ」 「せ、瀬尾…さん、」 普段そんなに大きくはない宇汰の眼がタオルの合間から零れ落ちそうになる位見開かれるのを心底面白そうに笑う瀬尾は、はい、っとペットボトルを出してきた。 「へ、…え?」 「今日水分取ってないよね?休憩中もトイレから戻って、そのままホール出たでしょ」 確かに。 今更ながら水滴の着いたペットボトルを前に喉の渇きが限界だと伝えるかのように渇きを訴えてくる。 よくこの汗の量で水分を取らずに過ごせたものだと我ながら思う宇汰はそろりとそれに手を伸ばした。 もしかして、このために自分を追いかけてくれたのだろうか。 何だか申し訳ないと思う反面、 「あ、ありがとう、ございます…」 「いいえー」 まぁ、言ってしまえば目の前の人間に気を取られ過ぎていた為なので、元凶は瀬尾にあると言っても過言ではないとも思える。 でも、 「炭酸大丈夫?」 「はい、」 ボトルの中で丸い気泡がふわふわと上がっていくのを見て、益々喉が渇く。 しゅわしゅわっとしたものが飲みたい、そう思っていたのを思い出し、無意識に宇汰の口元が緩み、瀬尾の心遣いにも素直に頭を下げる事も出来た。 まだ冷えているのが指先から伝わり、水滴が指先から流れていく。 (途中飲みながら帰ろ…) 「冷たいうちに飲めば?」 「…え、」 「折角冷たいから、飲めば?」 今、この場で、飲め、と? ニコニコと微笑む姿はそのままに、感じる違うモノ。 否、と言わせない、何か。 プシューー!! ごきゅごきゅごきゅっ!!! ここが裏口で良かった。 炭酸を罰ゲームの如く一気飲みほさんばかりの男とそれを楽しそうに見守る、しかも稀に見るレア物の良質な顔面。 往来でこんな二人組が居たら、ある意味注目され、二度見されてしまうかもしれない。 「ごっふぅぅ!」 その上、半分程宇汰の体内に飲み込まれた炭酸、流石にきつかったようで噎せ返る宇汰は涙目でこの状況化に内心首を傾げていた。 (え、マジで何なの?) 喉を通る炭酸がぱちぱちと弾けていくのが息苦しい。それでも水分を欲していた身体はそれを行き渡らせるかの様にしみ込んでいくのが分かる。 咳が落ち着き、チラッと見上げれば、宇汰の様子を見ていたらしい瀬尾がふふっと笑う。 「大丈夫?」 さして心配している様な素振りには見えない声音。 けれど、その眼が宇汰から逸らされる事は無く、じわりと心臓部分が熱くなってくる。 「…はい、じゃ、俺…」 やっぱり早く帰りたい。と、言うより逃げ出したい。 気恥ずかしさも相まって、また顔にも熱が伝わって来た。 残った炭酸水の気が抜けていかない様、ペットボトルの蓋をぎゅっと固く締め、もう一度礼を言いおうと口を開いたが、 「美味しかった?」 「……あ、はい…」 「そっか。良かった」 「…あの、じゃ」 「本当にシャワー浴びなくていいの?気持ち悪くない?」 「…………」 え、もしかしてこの人俺の事帰す気無い…? (いや、そこじゃない…つか、何か…) 「汗が冷えたら風邪も引くし、一人暮らし?しんどくない?」 「…………」 「良かったら車でも送ってあげるし」 瀬尾の声音が少しずつ変わっていくのが分かった。 柔らかくて、宇汰を甘やかす、そんな声音に、段々と。 それは、まるで、 「百舌鳥君?聞いてる?」 ぞわ、り 『ウタ君』 「あぁ、そうそう。これも何かの縁だし、俺の名前覚えて帰って欲しいんだけど」 「名前…?」 まだ手の中の炭酸の気泡はしゅわりと上がっている。 無色透明な、それ。 綺麗な目の前の顔に重なって、目元で、耳元、ぱちり、しゅわりと弾けていく。 「瀬尾春近、だよ」 「――――は、」 (え?は、え?…は、) はるちか? 教えて貰った名前が脳内に響き渡り、復唱される。 「百舌鳥君は?名前、教えて」 「う…」 「う?」 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! ―――ゴトっ ****** 「…逃げられた」 矢張り中々に逃げ足が速いとみた。 バイト代理で来た青年が落としていった炭酸水のペットボトルを拾えば、衝撃で中の炭酸が気泡をこれでもかと生み出している。 「勿体ないなぁ、残りは俺が飲んじゃうよぉ」 まだ冷たい。 思いっきり閉められた蓋を開ければ、シュワっと弾けた音。 ぱちぱちと音もする。 (あー…思い出すと笑えて来るわ) 自分の名前を教えた時の、弾かれたみたいな青年の顔。 ぐりっと大きくなった眼はその周りからどんどんと見て分かる程赤くなり、最後は泣きそうな真っ赤な顔をして、奇声を上げながら走って行ってしまった。 かなりの衝撃映像だった気がする。流石の瀬尾もその後を追えない位には驚いてしまった。 「あーぁ」 (名前、結局教えてくれないし…) 残念、残念。 彼の飲みかけの炭酸水を一口、含めば炭酸が弾けていく。 「さて、どうしてみようかなぁ…」 さらりと手触りの良い髪をかき上げながら、瀬尾は思案しながらも、ふふっと笑った。
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