理想のオレンジ

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シャっとカーテンを開けて、空気を入れ替える為に窓も全開。 朝の湿った空気に交じって、近所の弁当屋からの匂いは飯テロ張りに腹を刺激してくる。 両手をいっぱいに伸ばし、背伸びすると縮まっていた筋が心地よい刺激を生み、背骨がぼきりぼきっと鳴る音が体内から伝わって来た。 よし。 「快晴、回復っ」 既に水曜日の今日。 部屋を振り返れば、散乱している空のペットボトルや、ティッシュ、テーブルには皿とスプーン。我が部屋ながら汚い。 はぁーっと息を吐くと、勢いよくそれらをゴミ袋へ放り、分別もしながら、15分掛けてようやっと元の部屋に戻った事に満足した宇汰はスマホをの着信履歴から目当ての人物の名前をタップした。 数秒の呼び出し音の後、 『宇汰?お前大丈夫かぁ?復活したの?』 「あー…おじ、コウさん、ごめん…すっかり良くなった」 『そっかそっか、良かったじゃんか!風邪引いたとか言うから心配したわぁ』 「はは…色々と買い物してきてもらって有難う…」 (本当しんどかった…) 日曜日の着ぐるみバイトが終わり、瀬尾春近から逃げる様に帰路についた宇汰。 息を切らして帰って来たのはいいのだが、もう頭の中は真っ白状態。ふらふらと疲れ切った身体をどうにかベッドまで叱咤し、そのまま倒れる様に突っ伏した。 そして、息が整う頃、脳内に浮かび上がる名前。 瀬尾春近。 あの人は、そう名乗った。 (はるちか…って、え?) 今更ではあるが、少し冷静になって考えてみる。 チカは瀬尾で、瀬尾は春近。 瀬尾、春、近 ハル、チカ… ハル… (ほんとに?) どうしても辿り着く答えに抗えない。 かぁぁぁぁぁっと赤くなったかと思ったら、すぐさまうーうーっと唸り青に代わる顔色。 見物客が居ようものなら拍手の一つでも送られそうな位コロコロと変わっていくそれ。 (マジで、本当にあの人…) ハルさんなのか? 声がそっくりとかでなく、本人? あの不遜な態度で、人を小馬鹿にするみたいな笑みを浮かべ、口も悪く、嫉妬するのも阿保らしいスタイルを持ち、思ってたイケメンを遥か上回る端正な顔立ち。しかも、あの高身長は一体何だ。 見た目だけで二物も三物も与えられているではないか。 (はぁ…?だから俺達みたいなのって何も無くて、残りカスみたいなもんで出来たんじゃね…?) 若干イラぁっと、腹立たしいながらも宇汰はずっとそんな事を本当に夜まで考え、寝落ちした末。 『まぁ、気にするなよー。風邪だって拗らせるとやべーんだからさぁ』 「……面目ない」 知恵熱なのか、風邪なのか。 次の日38度5分超えの熱を叩き出してしまったのだ。 数年振りの熱に起きれないどころか、寝返りするのもしんどい状況となってしまった宇汰は何とか頭だけ上げて電話で浩一郎へと助けを求めた。 両親に頼んでも良かったのだが、バイトの事もあり、現状を説明。意外と早く飛んできた叔父は飲料水、レトルトのおかゆ、ゼリー等を運んできてくれ、 『バイトは何とかなるから、お前は安静なっ!』 と、ついでに病院まで着いてきてくれた。 初めて見たかもしれない浩一郎の頼もしさに若干感動したのは言わないでおこう。 「いや、早く治ったのコウさんのお陰だわ…まじで有難う」 『本当にもう大丈夫なのか?』 「うん、平熱だし。学校も行かねーと…」 『そっか。まぁ、安心したわ。で、治ったばかりんとこ悪いけどさ…』 「え、何?」 冷蔵庫を確認すれば、浩一郎が持ってきてくれたペットボトルの飲料水がまだ数本残っている。 一本取り出し、ゴクリと嚥下した宇汰は、 『ハルさんから、依頼来てんだけど』 「ぶっ!!っをっほっ!!!!!」 毒霧の様に口からそれを噴射させた。 カブキなあの人もグレートと言ってくれそうな見事な霧吹きだが、当の本人はいらんとこに入った飲料水をゲホゲホと吐き出す。 『え、ちょ、宇汰?大丈夫か?』 「だ、だい゛、じょ、ぶ…、」 涙声でぼえ゛、とか聞こえている時点であまり大丈夫そうでは無いと内心思う浩一郎だったが、取り合えずと話を続けた。 『いや、月曜日に依頼来てたんだけどさ。一病欠です、とは言ってあるからさ。一応…報告をと思ってだな…』 「あー…えっと、その後…は?」 『依頼か?来てないぞ』 「…へぇ、そ、そっか…」 汚れた床をダスターで拭いていた宇汰の手が止まる。 良かった、と一瞬安堵の息を吐いたのに、すぐにドクっと心臓が大きく鳴った。 心拍数が上がっている。 『まぁ、また連絡はするけど、無理はするなよ』 「…りょーかい、じゃ、また…」 切れたスマホをベッドに投げ、再び床を拭く。 ゴシゴシ。 (もしかして、俺に気付いた…?) (もしかして、) 気付いて、ガッカリした、とか―――――。
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