理想のオレンジ

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一度生まれた不安は、日常生活を普通に送っているつもりでもずっと胸の中で燻ぶり続けているもので、家を出ればアパートの階段から足を踏み外し転がり、電車に乗れば降りる駅の一つ前で降りてしまう。次に乗るより走った方が早いとダッシュで登校する羽目になり、途中通学用のバッグのショルダー紐を看板に引っ掛け、根本から引き千切ってしまった。 災難過ぎる。 ぐすぐすと鼻を鳴らし、ショルダートートだった袋を小脇に抱える。 全部自分の不注意だが、これで目の前を黒猫でも通り過ぎる様な事があったら、泣いてしま… ニャー 「…………」 とてとてと目の前を歩いていく黒猫の親子達。 一匹でも気が滅入りそうなのに、親子!宅急便の回し者かよっ!! 可愛いけどっ!! 猫に当たり散らす訳にもいかない宇汰は不穏な空気を感じながらも、ようやっと大学へと辿り着き、重い足取りで教室へ向かった。 (余計な事考えない…そうだ、まだ俺がウタだって気付かれた訳じゃない。いやいや、考えてみればあの人がハルさん本人って事も本当に確定してる訳じゃねーし) 気持ちを切り替えるべきだ。 それに白居と言う繋がりはあるが、それだけ。 会う事だってもう無いかもしれない。 いつもの席に座り、ぐたりと身体を預けふーっと息を吐く。 (自分の感情なのに、ぐっちゃぐちゃで分かんねー…) 一つ一つ整理してみたい。 一つ一つ答え合わせをしてみたい。 けれど、したところでどうなるのか。 その先が分からない故に何もしたくないのが本音かもしれない。 (シュレーディンガーの猫みたいな話だな) 昔友人から聞いた事があるその理論を思い出し、不毛だーなんて思っていたいると、 「あっ!!!百舌鳥ぅぅ!」 「ぐっ!!!」 背中にドンっと乗かった重みと痛みに宇汰から潰れた蛙の様な汚い声が漏れた。 誰かなんて確認せずとも分かる。 「百舌鳥ぅ、お前もう大丈夫なのかよっ?何?風邪?ラインしても全然返事返さないしさぁ!心配したわっ」 「…心配してくれてたんならもっと労われよ……」 思いっきり乗られた背中のまま、ぐぐぐっと身体を起こし、チラッと背後を見遣れば思った通りの白居。 一応心配そうな眼と言葉は向けているものの、行動が伴わないいつもの友人を引き剥がそうとした宇汰だが、それよりも先に白居は素早く隣に座ると口を開いた。 「つか、ライン読んだのかよ」 「読みはしたよ、昨日の夜だけど…」 「そっか。まぁ、この間は有難うな、つか先に帰られたのはビックリしたけど」 「悪かったよ…あ、あと、こっちも有難うな…」 熱が出ている間に白居から送られたメッセージにはバイト先から急に居なくなった宇汰に対する恨みつらみと月曜日になっても学校に顔を出さない宇汰に対する心配、そして、もう一つ。 【碧司さん達に名前教えたらいかんの?ふーん、まぁいいや。りょーかい】 どうやらちゃんと宇汰の願いは聞き入れてくれたらしい。 「何?何に対する礼?」 「いや…」 きょとんと首を傾げる白居にあまり多くは伝えない方がいいだろう。今更思い出されて、色々検索されるのも嫌だし、余計な事をされたくはない。 そろそろ授業も始まる時間。 壊れた鞄からノートとペンケースを取り出す。 今日からまた普通の日常を送るのだ。 勿論バイトだって続けるつもりだし、ハルからの依頼だって受けるが向こうが何か言うまではこちらかも何も言わない事にしよう。 何も分かっていないのに自ら墓穴を掘らなくとも良い。 (そうだ、そうしよ、) 「あ、そうだ。百舌鳥、打ち上げするんだってよ。明日」 「………え、何て?」 思考を行き成り遮られた為、反応が遅れた宇汰に白居が嬉しそうな顔でスマホのスケジュールを見せつける。 【打ち上げ!百舌鳥も】 表示されたスケジュールに首を傾げるしか出来ない。 「え、いや、全く分からん。打ち上げ?何、何で俺の名前があんの?」 純粋な疑問だが、白居は何言ってんの?と言わんばかりの顔。 「だから、この間のイベントが終わったから打ち上げするって話だよ」 「…………………はぁ?」 「碧司さんが百舌鳥君も呼んでね、って直々に言ってきたからさ」 「いや、何で俺…」 「良かったなぁ、体調良くなって!瀬尾さんが結構いい店取ってくれてるみたいで、俺超楽しみぃー」 「せ、お、?」 良い所だったら合コンにも使えるかもーなんて、ヘラヘラする白居を凝視する宇汰の脳内を黒猫の親子が動き回る。 にゃーっと可愛らしい鳴き声を聞かせながら。
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