理想のオレンジ

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「体調が悪かったらしいけど、もう大丈夫?」 白居に聞いたのだろうか。 一瞬そんな事を思った宇汰だが、ぽわっとした頭はそれをスルーし、小さく頷く。 「あ、あぁ、大丈夫です…ちょっと熱が出ただけで」 「やっぱり、あんなに汗掻いてたからじゃない?」 「そうですね…」 そう言えば、あのバイト後、シャワー浴びないと風邪ひくよ、と言われたのを思い出す。結果まんまと熱を出してしまった自分が笑われている様で何だか気恥ずかしい。 酒も手伝って、顔が熱くなっていくのが分かったが、あの宇汰のヘルプ要請後に両手にドラッグストアで購入したらしい荷物を抱えてきてくれた叔父を思い出すと、ぷっと有り難みと共に笑みが漏れてしまう。 「でも、良くなったなら良かったよ。肉食べたかったんだよね。ここの肉もすごい美味しいから、折角なら体調良い時に食べて欲しいしさ」 「気を使わせてすみません」 そう言えば、確かに肉は柔らかい物だった。 胃に流し込む事に必死だった為、味も何も気にしないで食べていたが、まだ皿に乗っていた肉を一口食べれば、スパイスの辛味効いた好みの味付け。 (めちゃ旨い) 今更にそう思う宇汰の口元が緩む。 「辛いの好きでしょ。ここの店のスパイスって辛味の中にも旨味が強くてオススメだよ」 「本当ですね…柔らかいし、辛味も俺好みで…」 いよいよ酒が己の仕事を果たしている様だ。 控えめではあるものの、ヘラリと笑顔を瀬尾に向ける宇汰の警戒心が解かれてしまったらしい。 その笑みに良かったと、眼を細める瀬尾をぽぉっと見つめてしまう。 (マジ綺麗な顔してるわ…) ゆったりと口付けるグラスの中のオレンジが揺れる。 彼が飲んでいるだけで、上品でやたらと旨そうに見えてくるから不思議だ。 「…それ、カシスオレンジですか?」 「これ?オレンジブロッサム。飲んで見る?ここの好きなんだ」 「…いや、大丈夫です」 流石にそこまでは図々しく出来ない。 「そう?」 何が面白いのか。 けれど、クスリと笑う声が宇汰の腰の辺りをくすぐり、何とも言えない気持ちになってくる宇汰は未だ泡を保っている自分のグラスをのみほした。 (似てる…やっぱハルさんの声に似てる…) 考えない様にと思っていても、どうしてもそちらに結びついてしまう。 「百舌鳥君、まだ食べたいのある?頼もうか?」 「あ、いや、俺はもう…」 「肉料理、まだ美味しいオススメあるけど」 「いや、もう本当に、」 肉は好きだが、先程無心に食べた物がまだ存在をアピールしている。緊張の中、しかもアルコールもいつも以上に摂取している為、胃の中は結構な割合を占めた状態だ。 (酒飲まないでちゃんと味わって食えば良かったかも…折角の待望の肉だったのに、) ーーーーーん? ここに来て、 少しだけ、何かに気づいた。 ようやっとかもしれないが、酒の入った頭では仕方がなかったのかもしれない。 すぅっと瀬尾に視線を遣ると、待っていたかの様に薄緑色のそれが宇汰を出迎えた。 「何?どうした?」 「………」 自然と眉間に皺が寄っていく。 何で? 俺言った事あったっけ? 白居だって全てを知っている訳じゃ無い筈。 今までの会話での宇汰のプライベートな部分をーーーー。 一人暮らし。 肉が好き。 辛い物も好き。 そう言えば、『誰か』と、こんな会話をした事がある。 つぅーっと背中を流れていく汗。 いや、もうこのまま何事も無く時間が過ぎていくのを待った方がいい。 そうだ、それが一番無難だ。 無闇に藪を突くものでは無い! 違う話をしよう、コミュ症とかもう言ってる場合じゃない。持てる力全てを動員して、ハンドルを切り替えるのだ。 一致団結で宇汰の中で決まった事を脳に指令を送るが、本体にはアルコールが邪魔しているのか、それが到達しない。 だから、 「…何で…俺の事知ってるんですか?」 思ってしまった事をそのまま口に出してしまった。 「何が?」 「一人暮らしとか、肉とか、辛いの、好きだとか、体調が悪かったとか、は、何処から…」 ドクドクと血の巡りが早まっていく。 目の前でオレンジの酒を飲み干した形の良い唇が開いていく。 「いきなり何を聞くかと思ったら」 ははっと苦笑いするこの表情も綺麗で眼が離せない。 「教えてくれたのは、君でしょ、」 ウタ君。 「…へ、」 何とも間の抜けた声が自分の口から発せられたのが分かる。 きっと顔も間抜け面と呼ばれる表情に違いない。 けれど、それを気にする場合でも、ましてや余裕も無い。 (今何つった?え、は、え?つまり、え?) 言われた事を反復させ、考えを纏めようとしするが、何だか上手く行かない。それどころか、目は見開かれ、ドキドキ、バクバク、動きが忙しなくなった心臓に身体が保たない状態になり、完全に酔いが回ってしまったようだ。 (ヤバイ…!すげぇ、息が荒くなってる…) 「大丈夫?」 「い、いや、あの、」 大丈夫な訳無かろう。 そう言ってやれたら、どんなにいいか。ふと、そんな事を考えてしまった宇汰の腕を瀬尾が持ち上げた。
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