見て見ぬ振りする林檎

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見て見ぬ振りする林檎

次の日、ようやっと不自然さの抜けた足取りで学校へと向かう途中、背後から同じように登校してきた白居が手を振って『おーい』と小走りに近づき隣に並ぶなり、ぎょっと眼を見開いた。 「…え、ちょ、何これっ!!このブランドすっげー高いやつじゃんっ!何で持ってんのっ!?」 「……なんでだろ」 それは、本当にハルが購入したショルダートート。 どこぞのハイブランドらしく、あれからハルに促されるまま着いて行ったはいいが、一度も足を踏み入れた事も無ければ、近寄った事すらない店を前にして場違いだと小心者の宇汰は青い顔で激しくかぶりを振った。 流石に分不相応過ぎる。 眼の端に映る金額の桁がただの大学生からしたら異次元過ぎて、逃げ出したくなった程。 『この子にいくつか見繕って欲しいんだけど。金額関係無く』 ハルからの、人生で一度は言ってみたい台詞トップ10に入りそうな指示で店員がにこやかに商品を案内していくが、それに愛想笑い一つ出来ず、ただただ狼狽えただけの時間。 結局自分で選ぶ事の出来なかった宇汰に仕方ないなぁと笑っていたハルがこれが一番似合うと選んだのがこの鞄なのだ。 (ただの通学用鞄って…言ったのに…) 言った所で帰って来た返答と言えば、 『いつも使うからこそ、だよ』 と、これまたスマート過ぎる。 確かに手にしてみれば、質感もデザインもハイブランドなだけあってかなり良い物だと言うのは分かる。色もチョコレートと言うか、焦げ茶色でかなり好みの色。 でも、それでも、 (ユニ〇ロでもジー〇ーでも良かったのに…) 持っている私服にも似合わず、この鞄だけ浮いてるんじゃないだろうか。そう思わずには居られない宇汰に白居は気付かず興奮気味に囃し立てる。 「いや、本当マジでそれどうした訳?」 「も…貰い物で…」 「へぇー俺らみたいな大学生じゃ中々持てないようなもんを…太っ腹だよなぁ!」 「…なぁ」 しかも何だろう、この後ろめたさ。 白居のバイト先である上司であるハルと関係を持ってしまったからか、妙にチクチクとした感情。 「あーそういや、この間全身ブランドで固めてる女の子居たんだけど、パパ活やってるって聞いてちょっと手出しにくくなってさぁ」 「…は?」 「流石に俺はパパ程貢げないからなぁ。可愛かったのに残念だわ」 パパ活には対して偏見が無いらしい白居はケラケラと笑ってみせるが、宇汰には友人の言葉がやたらと響いた、気がする。 ぐっと肩に掛かる鞄の重み。 …まさ、かね、いや、でも、… (……もしかして、これって) 対価、報酬…的な? あれよあれよと一晩で流されるままだった現実をどこか遠い所から客観的に見ていた様な気がしていたが、急にものすごい勢いで引っ張られて水までぶっかけ垂れた。 そんな感覚に陥ってしまった宇汰は『つか、お前二日酔いだったの、昨日?』だとか、『飲み会も先に帰るしさぁ』等話しかけてくるが、上っ面だけの返事を返す。 それは講義が始まってからも。 (…そう言えば、個人的な連絡の交換もしなかった) (セックスしたのに…キスとかしてなくね?) だから何だと聞かれたら明確な答えは持ち合わせては居ない。 セックスしたからと言って、はい!お付き合い!今日から恋人です!なんて事が当たり前だとも思っていない。 ただ宇汰の脳内にあるお花畑部分に中学生並みなお付き合い定義があった為か、何だかそれらの事実は今頃になって軽いショックを与えたのだ。 流されるなりに考えていた、一体何で、どうしてこなったの答えは意外と簡単だったのかもしれない。 (あー…そうなのかなぁ…) 元々ハルは男も女もイケる、ただそれだけ。 宇汰だって男故に処女だ、何だと言う概念も無い。 深く考えるだけ、時間の無駄だ。 はぁっとここ数日だけで何度も吐いた溜め息の行先が決まった。 だから、昼になって浩一郎からのメールに食べていたざる蕎麦を喉に詰まらせそうになったのだろう。 川を挟んだ向こう岸に十年前に亡くなった母方の祖母が生前嗜んでいた弓道着を着こんでこちらに弓をむけていたのは、追い返そうとしていたのか、トドメを指そうとしていたのか分からない所であるが、周りの好奇の目に耐え、咽繰り返しながらも何とか意識を取り戻し、もう一度それを確認した。 【悪い、宇汰。今日お前と同じ愚痴聞きやってる子を契約違反したって事でクビにしたから、しばらく忙しくなるかも。客と身体の関係持って金銭やり取りしててさぁ。揉めた挙句、こっちに流れ弾当たってマジ参ったわぁ】 なんてタイミング。 ごくりと喉が上下に動き、眼が泳ぎ出す。 一人ざわつく中、それにまた畳み掛ける様に、もう一度鳴る着信音。 【で、早速。本日23:00より ハルさん 30分コース】 え、えぇぇぇ… (こっちに連絡してくんのかよ…) 了解、と返信を打つ指先が重いと感じたのは気のせいなんかじゃない。
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