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『こんばんは、ウタ君』
「…こんばんはー…」
23時きっかりに掛かって来た電話からは『今まで』と何ら変わりの無いハルの声が聞こえてくる。
『今まで』だったら、少しドキドキしながらこの声を聴いてぽわーっとしていたところだが、今は違う意味合いでドキドキしている宇汰は汗が尋常ではない。
(え、え、え、どうしよう。何から話す?あ、向こうの話聞くんだから、ハルさんから話しかけられるのを待つ!?つか、今までどうやって話してたっけっ!?)
挨拶からほんの数秒でこれだけの考えを巡らせる。
『ウタ君、体調どう?』
「え?あ、全然大丈夫…ですけど」
けれど、ハルからいきなり体調のお伺い。昨日会っていたばかりなのに、はて?と疑問を持ちつつも、素直に答える宇汰に笑う声が聞こえた。
『そう、腰痛そうだったからね。安心した』
「……あ、」
そっちか。
「はい…全然普通に歩けてるんで…」
本当に馬鹿正直だと自分でも思う。一体何の報告だと自問自答してしまう。
けれど、素直に答えれば満足そうに笑う声に何故か妙な悦が生まれる。
おかしい。明らかにおかしいけれど、それを深く掘り下げるにはまだ勇気も無ければ、覚悟も無い宇汰は正座のまま拳を握った。
「あ、あのハルさん…改めて…なんですけど、鞄有難う御座います」
『いいよ。ちゃんと使ってくれてる?』
「はい…」
『良かった。俺も嬉しいよ』
「………」
耳を擽る優しい声音。
それが何故だかじわりと臍の辺りまで痺れをもたらし、落ち着かない。
(っ、駄目だ…そんな浸ってる場合じゃない…)
浩一郎のメールが思い出される。
【客と身体の関係持って金銭やり取りしててさぁ。揉めた挙句、こっちに流れ弾当たってマジ参ったわぁ】
(だよな…仕事として…ちゃんとしねぇと…)
身体の関係を持ったから何だ。
その対価か知らんが、高価な物を貰ったからってもうここで割り切らなければ。
鼻息荒く、宇汰は仕事モードへと切り替えるべく、気合を入れて顔を上げた。
「えっと、じゃ、ハルさ…」
『ウタ君さ、このバイト辞めたくないんだよね』
「は?」
『違うバイト…とか考えてないよね』
(………どういう事?)
仕事モードも気合も脈絡の無いハルの質問により全部吹っ飛んだらしい。ハテナマークがくるくると頭上を飛び交うが、
「えっと、そうですね…バイトは辞めれないです…」
ポツリとそう答えた。
尤も辞めれない理由と言うのが自分の意志云々の前に浩一郎が大変そうだからと言うのが先立つ話なのだが。
バイトの一人が一悶着起こした上に宇汰まで今辞めたいなんて言ってしまったら、あの叔父の事だ。きっと酷い顔して泣き落としに掛かってくるだろう。
身内の痴態等あまり見たくはない。
それに風邪を引いた時に看病してもらった恩もある。
(つか、レンジも買ってねぇ)
しかしこの質問は一体何なのだろう。
「あのー…」
『いいよ。俺もそこまでは言えないし』
「…何がっすかね」
思わず砕けた言い方になってしまうが、そんな事等気にしていないらしく、
『明日の土曜日、空いてる?』
「…え、はい。特別何も…」
『分かった。仕事入れない様にね』
「は、い…」
置いてけぼり感はあるものの、自己完結してしまったハルと他愛無い話をして、結局要点を得ないまま時間を迎えてしまった。
いつもの様に、
『おやすみ、ウタ君』
と、甘い匂いを残して。
(本当に…何が何だか…)
最近起こった事だけで長編小説一つ作れそうだ。それだけ情報量や知的活動が多い。
スマホをテーブルに置くと、宇汰はごろりとベッドに転がった。
考える事を放棄。もう、寝ようと眼を閉じる。
だが、何も考えない様にしたのに耳元の余韻が煩い。
『ウタ君』
(…や、ばい…)
またじわりと腹の辺りが痺れる。
分かっている。だって、男だから。
ぐぐぐっと眉間に皺を寄せて、歯軋りしながら感じる身体の変化。
(マジで…こんな節操無い奴じゃなかっただろ、お前…)
ムラムラする、なんて、一生使う言葉じゃないと思っていたのに。
クソっと小さく呟くと宇汰はスウェットの中に手を入れた。
*****
窓から入ってくる朝の光を恨めしい目付きで眺め、不機嫌全開オーラを隠そうともしない。
そんな宇汰を白居が見たのなら、
『え、何、どうしたの、お前。すっごい顔色悪いけど。告白もしてないのにフラれたみたいな?』
と、どうでもいい一言を付けてそんな事を言っただろう。
実際宇汰の顔色は宜しくない。
体調が悪いだとか、気分が宜しくないだとかそういった類でないのは彼自身分かっているからか、ただただ溜息が漏れていくだけだ。
あまり眠れなかった。
確かに寝れなかったが、それは大した理由ではない。
では、一体何故か。
(…マジでか…俺、俺…)
ぎゅうっと両手で乙女の如く顔を覆う。
(イケなかった…)
(全然…イケなかった……)
何処に?なんて小ボケはいらない。いや、入れられない程の悲壮感は非常に重い。
久しぶりに、一人で致した昨日の夜。
最初はハルの声だけを再生していたのに、気付けば『あの時』のぬくもりや、もっと言えば肌の感触まで思い出していた。
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