ハルが萌黄

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大学から戻ると、早めに食事を終えた。風呂は終わってからの方がいいだろう。前回の様に無駄に発汗してしいまう恐れもある。 100均で買ってきたピンクのうさぎの形を施したキッチンタイマーを30分に設定、ついでに何故か購入してしまったユンケルを飲み干せば、準備完了。 スマホのディスプレイを確認すると、19時27分。あと3分だ。 あー、あー、と喉の調子を確認しながらそれと睨めっこ状態の宇汰は当たり前だが落ち着かない。 (さ、…30分かぁ…続くかな、俺イケるか?) いくら2回目とは言え、緊張してしまう小心者故この様な事をほぼ昨日から考えている宇汰は深呼吸で己を落ち着ける。 そろそろ時間だ。 と、思った瞬間、宇汰の手の中にあるスマホを震えた。 前回と同じ非表示のそれに、キッチンタイマーのスタートボタンを押し、次にスマホの画面をゆっくりと押す。 「もしもし、ウタで、す」 『こんばんは、ウタ君』 (うーん…やっぱりこれが巷で言うイケボってやつか…) 一瞬だけぞわっと背中を這う様な感覚に襲われるのは、この声質なのだろう。 「こんばんは、えっと、指名して頂いて有難う御座います、嬉しかったです」 取り合えず、指名を貰えた事に礼を言わねば。宇汰はぎゅっとスマホを握り直すとそう告げた。何だか照れるが、向こう側ではクスクスと笑う声が聞こえ、少しだけ力が抜けていくのが自分でも分かる。 『うん、ウタ君とまた話がしたかったんだ』 「そ、そうですか?」 『君の声落ち着くしね。俺の好きな声質なんだよ。高くも無く、程よい低さが』 「えー…ありがとう…ございます…」 薄々感じてはいたのだが、 (この人イケメンなんじゃね…?) 恥し気も無くサラリとこんなセリフも吐ける男は大体イケメンだ、と齢二十歳程の経験値がそう言っている。 余裕がありそうなこの雰囲気も納得出来ると言うもの。 だが、勿論『貴方イケメンでしょう』等と言える筈も無く、 「え、えっと、今日はもうお仕事終わりですか?」 照れ臭いのもあり、そう話を切り替える宇汰にハルはあぁっと短く答えた。 『色々ね、あの後考えたんだよ』 「あの、後?色々、ですか?」 『うん、確かに俺一人で何でこんなにやってるんだっけ、ってさ』 「はい」 『会社を共同経営で立ち上げたから、躍起になってたんだろうなぁ』 「……なるほど」 (えぇ…若そうなのに、普通にすごい人やん…これでイケメンかも、って同じ男として何かジクジクする…) 嫉妬なんておこがましいが、ハルと平凡の極みを行く自分と比べたてしまったら涙が出そうになる。 『で、昨日から色々と会社の業務内容を一斉に改革しようって、奮起してみたんだ。丸1日会社の仕事無視して』 「…それ、大丈夫なんですかね」 『大丈夫。よくよく考えたら俺に出来ない事ないよ』 勿論自分が宇汰のコンプレックス的な所を刺激している事に気付く筈の無いハルは嫌味を感じさせない台詞で益々殴打してくるが、 「…じゃ、ハルさんはこれからゆっくり出来るかも、って事ですよね」 『そうなったらいいな』 そちらの事実の方が何だか嬉しいと感じてしまう。 心なしか声も先日よりも軽く聞こえる。 (そっか、だったら…いい事じゃん) こちらまで嬉しくなってしまうのはハルに感化されているからかもしれない。 と、同時に脳裏にポンっと浮かぶ事。 (あぁ、そっか。これを伝える為にわざわざ俺を指名してくれたんだ…) ハルの律儀さにも嬉しさが滲み出る宇汰は、ここに来てようやっと口元を緩める事が出来た。 「ハルさん、ゆっくりご飯食べて、家で映画とか本とか好きな事しましょうっ」 ふわっと笑みを浮かべて、まるで自分の事の様に弾んだ口調になり、いつの間にか身体に残っていた緊張も消えたのか足をゆうるりと伸ばす。 友人との会話の様に砕けてしまった、と気付いたのは電話の向こう側がシンっと静かになったからだ。 (…あっ) 馴れ馴れしかったか。 一瞬ヒヤリと固まってしまった宇汰だが、 『それってウタ君が付き合ってくれるって事?』 「…は?」 問われた事に対して間の抜けた声が出てしまった。 『ウタ君が食事とか、映画とか付き合ってくれるなら楽しそうだなって思ったんだけど』 「あ、はははっ、び、ビックリした。は、ハルさんにそう言って貰えて嬉しいですっ」 咄嗟にそう反応は出来たものの、 (あ、っぶねぇーーー…っ!!これ、落ちるやつだっ!女だったらコロリしてるやつだっ!イボの様にコロリされるやつだっ!!) 己をイボ扱いしながら赤くなる頬は抑えられない。 イケメンなのだろう、さぞかし男前なのだろう。戸惑いの無い、手慣れた感が物語っている。コミュ力の高さが非常に恐ろしい。 「ハルさん…すっごいモテそうですね…俺じゃなくても楽しめますよ、絶対…」 『そう?それ誉め言葉だよね?有難う』 「どういたしまして…でも、本当行動も早いし、同じ男として凄いなって尊敬します」 『ウタ君も人たらしな感じがするね。素直さが人を惹きつけるでしょ』 「……」 やだ、そんな風に言われたの初めて。 しつこい様だが、本当に社交的では無いまま二十歳まで生きて来た宇汰。友人と呼べる者も片手で足りる。尤もそんなに必要性を感じなかった為の人数ではあるのだが。 でもハルにそんな風に言って貰えるとしたら、相手の顔が見えないのが一番の要因だろう。これは仕事と言う前提が有り、相手の顔が見えないからこそ、しかも見知らぬ相手故、素直に物が言えるのだ。 緊張はあるものの、そこは別物。 『本当に落ち着くね、ウタ君は』 「有難う御座います…」 非常に照れ臭いが、落ち着くのであればハルの声音も雰囲気もそれだと思う。 ハルと言う名の通り、春を思わせる様な色合いが脳内にイメージされる。 眼を瞑り、チリチリ…っと頭の中にある引き出しを探る宇汰はあぁっと小さく呟いた。 「ハルさんは萌黄、かな。色だと」 『色?萌黄?』 「ハルさんの雰囲気が俺の中ではそんな感じなんです」 我ながらピッタリだ。 鮮やかで新緑の様な、春の訪れを喜ぶ色。ちょっと若々しいかな、とは思うものの声質からは十分に瑞々しさを感じれる。 自信有り気に一人頷く宇汰だが、ピピピピピっと鳴った電子音。 「あ、やば…ハルさん、すみません、時間が来ましたっ」 『あ、そっか。もう三十分たったんだ』 愚痴など聞かずに終わってしまった気もするが、きっとこれが最後かもしれないと、宇汰はまた正座をする。 「ハルさん、有難う御座いました。仕事、頑張って下さい」 前回頑張ってと言って欲しいと言われたからではないが、そう告げると短く『有難う』と聞こえた。 「じゃ、またご利用お待ちしております」 また、があるのだろうか。 電話を切った宇汰は前ほどの疲労感は無かったものの、ふぅっと息を吐くとベッドに突っ伏した。 三十分も話をした為か、何だか耳にまだハルの声が残っているようで不思議な気持ちになってしまう。 眼を瞑れば、萌黄色も広がる。 (人の縁って、こうやって出来るのかもなぁ) ぼんやりとそう思いながら、この仕事って悪く無いのかも、なんて心情の変化を迎えていた。
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