見て見ぬ振りする林檎

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途中賢者モードになり、男の声や肌に欲情した、それがショックで、だとかの理由じゃない。そんなの今更だ。 こうなってしまったのだから、 (はいはい、俺は男をオカズに欲情しましたぁ) ともう開き直れる。 (あの人の声に性的感情向けてましたよっ!) 気付かない振りを辞めてあっさり受け入れた。 ならば、後ろめたさ? それも違う。 ただ純粋にイケなかった、それだけ。 どれだけ擦っても、刺激を与えようともただダラダラと先走りしか出てこないと気付いた時、本気で恐怖を感じた。 『何で、な、んでぇ…』 勃起しているにも関わらず、果てれない。 あまりに焦って、狼狽え、涙すら出てきた。 ぼろぼろ溢れる涙に最後はとうとう諦めて、グスグスと床に着いたのだ。 (何なんだよ…不能…とかじゃないよな…) 男としてのプライド、云々言う訳じゃないが流石にキツい。 顔を洗うべく洗面所へと向かい、備え付けの鏡を見れば、目が少し腫れぼったく泣いてしまった事を嫌でも自覚させられた。 (ぶっ、さいく…) 油断したらまた泣いてしまいそうだ。 さっさと顔を洗い、時計を見ると10時になろうとしている。土曜日と言うのもあり、大学は休み。何も食べる気は起きないが、少しでも腹を満たせば、この憂鬱感も消えるかもしれないとベッドに背凭れ、買っておいた食パンを何も付けずに齧った。 ついでに気が紛れれば、とテレビのリモコンに手を掛けた時だ。 コンコン 玄関から聞こえた音にビクッと身体が跳ねた。 (…何だ?) 新聞の勧誘?宗教? もしゃりと齧っていたパンを咀嚼し、残りはテーブルへ。そのまま立ち上がり、少しの警戒心を持ちながら、 「…はい、どちら様でしょうか」 声を掛けてみる。 勧誘系であれば、断るのがしんどいな…なんて思っていたが、 「ウタ君、俺だよ」 …… ……… ーーーはっ!? ドタドタっ!!ガタっ、ガタっ!!! けたたましい音と共に弾かれた様に開けられた玄関の扉。 そこに居たのは、予想通り…いや、本来ならば予想出来る筈も無い人物。 「ハ、ハル…さ、ん」 「おはよう、ウタ君」 朝の爽やかさな空気を己の物とし、キラキラ感全開の笑顔を纏った瀬尾春近がそこに居た。 ***** (反射的に閉めなくて良かった…) 安堵感に息を吐くものの、 (しかし…) 「ここがウタ君の家なんだぁ」 何だ、この掃き溜めに鶴感。 築35年の若干古びたこのアパートに身長190センチの滅多にお目に掛かれないイケメンがグレイのVネックシャツと黒のチノパンと言うシンプルながらも高級感しか感じない出で立ちで立っているのが意味が分からない。 まだ夢から覚めてないんじゃないのかと。 「な、何で…こ、こが…」 咄嗟に部屋に入れたはいいが、本当にもう色々意味が分からないっ! そう叫びたい衝動に襲われながらも、宇汰は笑顔を痙攣らせてお伺いを立てる。 何故彼が自分の家を知っているのだろう。教えた覚えもなければ、この間の着ぐるみバイト時だって何にも表記してもいなかった筈。 なのに、何故? 「まぁ、色々手を使ってね。簡単だよ、意外と」 「へ、へぇ…」 至極あっさりとした回答。 これがそこらの一般人の所業ならば、即通報モノだ。ハルの美貌があるからこそ許される、許してしまう。 その証拠に自分の部屋を興味深そうにキョロキョロと見回す男が可愛らしく見えてしまい、うぅ…っと小さく悶えてしまった。 「やっぱり迷惑だった?」 「いえ…驚いただけです…」 小首を傾げられたら、白旗が秒で立つ。 あまり物が無い部屋で良かった。散らかる物が無いと言うのが幸いしたなんて見当違いな事まで思い始めた宇汰に、ハルはふふっと笑って見せる。 「今日はさ、ウタ君とまったりしようと思ってたんだ」 「…何でですか」 「理由って居る?俺が一緒に居たいから来た。それだけだけど」 聞きようによっては傲慢、且つ不遜。 例えばこれが白居や高校時代の友人ならば、来訪時は事前の許可を取れ、と遠慮無く叩き出している所だ。 が、相手はハル。 「大丈夫、です…昨日言った通り、用事とかも…無いんで…」 「いい子だね」 そう言われ、こめかみに唇を当てられる。 これが何を意味するとか無いのだろうが、くすぐったさと気恥ずかしさに目を細める宇汰だったが、ふいに空気が変わった気がした。 「…ハルさん?」 薄緑色の眼がじっとこちらを見ている。 「眼ぇ、どうして腫れてるの?泣いた?」 あ… 今更思い出す自分の風貌。 眼が腫れていた事を思い出し、しかもその原因が原因なだけに、不自然な程狼狽し、顔を赤らめた宇汰は俯き隠そうとするが、ハルはそれを許さないとばかりにガッチリと顎を掴む。 「泣いた?」 再び問われた質問。 ぶるっと腰が震える。 「あ、あの、」 いや、流石にこれは言っちゃ駄目だろ。 恥を晒して喜ぶ特殊な性癖は持ち合わせて居ない。 だが、口が開いていく。 ハルに従えと、遺伝子に組み込まれているみたいに意思とは反対に。
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