桃花香る

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『ウタ君は何時までこの仕事受け付けてるの』 『24時までには寝たいんで…一応23時半位までは受けてます』 なんて、会話をしたのが3日前。 宇汰は目の前のスマホ画面を前に、何とも言えない表情を見せた。 【ハルさん、30分コース 23時より】 【あのさ、この人いきなり時間変わって来たな。何かな、何らかの意図を感じるのってコウさんの気のせい?】 浩一郎からの依頼メール。相手はハルだが、時間がかなり遅い時間となっている。 今まで全て19時半からだったのに、ここに来て23時から。 もしかして繁忙期になったのではないのだろうか。 それとも今までの19時半と言う時間を無理していたのか? (そういや、この間何時まで仕事してるのかとか聞かれたしな…いや、でも本当に忙しくなったんじゃね?) 浩一郎の感じる『意図』とやらを丸っと無視して、額に集まる汗を拭う。 (無理してないといいけど…) 自分に出来ない事なんて無い等言っていたハルだが、結局生身の人間。宇汰が心配してしまうのも当たり前の事だ。 まぁ、こちらも生身の人間だがあまり心配しなさそうな男も居る。 「もぉぉぉぉおおおずぅぅぅぅぅぅぅううう」 「煩い…」 「一蹴するのやめろよぉ!お前の辛辣なの、たまにメガヒットして痛いっ」 「…また合コン?」 隣へと座ってくる白居は諦めていないらしい。いそいそとスマホを開き、可愛らしい数人の女の子の写真を見せてるなり、 「合コンの相手これだぞ。可愛くね?もう、なんつーか、こう、全部ピンク色に見えるだろ?」 「眼科行けよ。もしくは精神科」 不審者の本領を発揮してくる。 それに対し、宇汰が心底心配気に見詰めてやれば、白居は不本意だとばかりに頬を膨らませた。 「お前なぁ、年頃の男なんて脳みそ皆ピンク色だろうが。何でもそういう色に見えちゃうだろうが。おっぱいとか、スカートから覗く脚とかさぁ。あ、あと尻とか。桃尻とか言うじゃん」 「…桃尻って馬に乗るのが下手くそな尻の事って知ってたか、お前」 「え、そうなの?」 「まぁ、馬の鞍に安定して座れない位丸っこい尻って事なんだろうけど」 「へぇー」 知らなかったーと感心する白居だったが、すぐにそんな事どうでもいい!と再び宇汰に詰め寄る。 「野郎でつるんでるのも面白いけどぉ、生活に色を取り入れるのも大事だってー女の子とキャッキャウフフするだけで楽しいぞぉ」 「あー……何となく分かるけどさ…」 ぶっちゃけてしまえば、宇汰だって男。白居が言いたい事も理解は出来る。 一応出来ていた彼女との日々も思えば、浮かれていたし、脳みそだって友人が言う様に桃色だったのにも間違いは無い。 だけれど、今は。 「やっぱ無理。俺今バイトしてるし、ちょっと特殊だから決まった休みとか無いしさ」 急に休みが出来る事はあるが。 「えー!休みとか普通に事前に言って貰えよぉ、超ブラックじゃん、お前体調とか大丈夫な訳?」 急に真剣な顔で宇汰を心配してくれている白居の眼は真剣そのもので、一瞬目を丸くした宇汰だが、目の前の茶髪の頭をぽんぽんと撫でると徐にふっと眼を細める。 何だかんだ白居のこういう所が好きで友人になりたいと思った所。 「有難う、大丈夫…」 きっと浩一郎に言えば、『休みたい?オッケー★』なんて、簡単に休みにしてくれ、依頼が入っても宇汰に回す事も無く、指名だとしてもお断りしてくれるだろう。 でも、そうなると、 『ウタ君』 あの優しい人もきっと、断ってしまう。 折角連絡をくれるのに、そうなってしまったら、 (何か、嫌だな…) 癒されると言ってくれたのだから、それに答えたい、それくらいしか出来ない故。 合コン人数合わせ…どうしよう…、なんて小さく呟いていた白居だが、目の前で自嘲じみた笑みを浮かべる宇汰を見て、思わず首を傾げた。 (百舌鳥の顔、めちゃピンク色) ****** 普通だった。 至って普通のハルだった。 『え?』 「い、いや、あのこんな時間になったって事は忙しいんじゃないかと思って…あまり無理しないで休んだ方がいいんじゃないかと…」 『そんなんじゃないから』 心配を吐露するが、笑ってそれらを一蹴する相手に宇汰は何となく腑に落ちない感を感じながらも少しだけ安堵した。 『心配させて悪かったね』 「い、いえ、勝手に俺が心配しただけだったんで…」 『ウタ君優しいなぁ、ほっとするよ』 「あ、ははは、そんなんでも…無いですよ…」 そろりと泳がせる眼が罪悪感が半端ないと物語っている。 こんな事ハル限定だ、と。 他の客と比較しているつもりも差別しているつもりも無いが、話した時間も内容も濃い分だけどうしてもハル贔屓してしまう。 だが、 『俺の周りももう少しウタ君みたいな子が居たら良かった』 「へ?」 (ハルさんの、周りの人?) そう言えば、と今更になって気になりだすのはハルの事。 仕事は何らかの企業を共同ではあるが起ち上げているのは知っている。 だが、個人として見た場合、彼の周りにはどんな人がいるのだろう。 ハルの家族に、職場の人間。友人関係に――――。 恋人、 (こ、恋人かぁ…この人なら、普通にいるだろうなぁ) こんな自分にも優しいハル。恋人であれば、もっともっととろける程甘そうだ。 そんな事を考えれば、かぁぁっと顔に熱が集中するのが分かる。白居が昼間言っていた事を思い出し、何だか居た堪れない。 (ピンク色ね…白居を笑えねぇ…中学生にでもなった気分だわ…) 流石女性経験どころか恋愛経験もほぼ低地にあるだけある。何だかこの部分でもハルから刺激を受けそうだ。 コンプレックスの塊が厄介過ぎる。 「俺もハルさんみたいな人が近くに居たら…いい刺激になっただろうなぁ…」 いかせん最近自分の周りの大人の代表と言ったら学校以外では浩一郎しか居ない。自由人代表と言っても過言ではない三十路の叔父。 それもある意味いい刺激にはなるのだが…。 『本当?そう、思う?』 「え、はい、思いますっ」 『はは、嬉しい。ウタ君で今日も癒されたな』 笑う声に、お世辞であっても嬉しくなる。 彼女でなく、今自分がハルを癒しているのだと言う可能性が優越感を生まれてきそうだ。 そんな不思議な感情にニマニマしていれば、時間が来るのが見えた。 『時間だね』 「はい、ハルさん、有難う御座いました」 『こちらこそ。じゃ、ウタ君』 「はい、また」 いつも通り。 通話ボタンを切ろうとしたが、 『ウタ君』 「はい?」 『おやすみ』 しばしの間を開け、宇汰もそれにゆったりと返した。 「……あ、おやすみなさい」 今度こそボタンを押し、待ち受け画面に戻るスマホをベッドにゆっくりと下ろす。 え? ちょっと待って。 『おやすみ』 こんな四文字程度の挨拶。 抑えた額の中を駆け回るこの言葉。 (ちょっと、掠れてて…吐息混じり…だった…あのイケボで…) かぁぁぁぁぁ… 熱い。顔が非常に熱い。 しかも、おやすみとか少し生々しい気がするのは脳内が思春期化しているからだろうか。 (あぁ、でも…) 耳が幸せ。 とうとう自分でも引いてしまう事を思いながら、いい夢が見れそうとスマホを拝む宇汰だった。
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