Heart Beat

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Heart Beat

広樹はきっと、前世はとんでもない音楽家だったか、音楽を全く聴かせてもらえなかった人間だったに違いないと思う。 気がついたら、机をピアノ代わりに叩いていたり、おもむろに大きな声で歌い始めたり、ノートに一心不乱に楽譜や歌詞を書いていたりする。 そんな広樹を、俺は時には尊敬し、時には面白く思い、またある時には不思議に思い、時には呆れ、そして何より…心の底から愛していた。 友達としての情なんかじゃなく、愛していた。 ギターを掻き鳴らす指に触れたかった。 歌を口ずさむ唇にキスをしたかった。 広樹に出会って、恋をしてから三年。 広樹はきっと、卒業したら音楽の道に進む。 あいにく才能の無い俺は、広樹の進む道に、着いてはいけない。 どうせ離れ離れになる。 今でも、必死だったんだ。 音楽しかない広樹の頭の中に、自分の居場所を作るのは。 そばにいられなくなったら、きっとそんな場所は、簡単に埋められてしまう。 広樹はそういう人間なんだ。 何よりそんなところを、きっと俺は一番愛してやまないのだろうと思う。 卒業旅行というほどじゃないが、二人で少し遠くの海にやってきた。 この時ばかりは二人とも、恋も音楽も捨ててはしゃぎまくった。 普通の男子高校生らしく。 帰り道、防波堤の上を、濡れたビーチサンダルで足跡を付けながら、俺たちは歩いていた。 何事も平均より上を行く広樹は、バランスを少しも崩すことなく、時折ジャンプをしたり、わざと体を傾けたりしながら歩く。 運動神経も悪く、何より慎重派な俺は、両手を広げてバランスを取りながらゆっくりと後をついていく。 夕日に浮かび上がる追いかけっこをしているような影が、何だか少し切ない。 「広樹さぁ、卒業したらどうすんの?」 「んー?」 また、わざと体を傾ける。 夕陽に、広樹の茶色っぽい髪が煌めいて、綺麗だと、思わず口を滑らせそうになる。 「まだわかんない、かなぁ!」 「でも音楽は続けるんだろ?」 そして、俺のことなんていつか忘れちゃうんだろ? 俺の頭の中には、一生消えないような思い出ばかり作るくせに。 「当然!」 弾ける笑顔が心に刺さって、何も言えなくなってしまっ た。 「辞めたくても辞めらんないんだよね。まぁ、辞めたいなんて思ったことないんだけどさ。 こう…なんて言うの?魂が求めてる!!って感じ」 魂が求める、か…。 俺の魂が今求めていることを口に出したら、お前はなんて言うのかな? きっと、俺が見たことない顔をする。 そんなことを考えていたら、勝手に言葉が漏れた。 「音楽以外は?」 「え?」 「音楽以外には、無いのか?そういう…魂が求めてるって思えるくらい、好きなもの」 俺はあるよ。 お前の笑顔、お前の指、お前の声、お前の全部。 「………」 広樹は珍しく、俯き、暫く迷ってから言葉にした。 「…お前とか?」 「……え…?」 言われた言葉を、理解しようとする俺をよそに、広樹は顔を真っ赤にして俯き、クルッと前を向いて五歩ほど走り、防波堤からジャンプして飛び降りた。 そのままコンクリートの壁にもたれ、バツが悪そうな顔で俺が追いつくのを待っている。 「………」 ゆっくりと歩いていく間に、今言われた言葉を理解し、そのとんでもない事実に、俺は今にも空を飛べそうな気持ちになっていた。 ありえない。 だって、こんなことって… でも、耳に何度も何度も反響するその言葉は、確かに今広樹の声で紡がれた。 まるで、あの日…広樹と初めて出会ったあの音楽室で聴いた、ラブソングのように。 漸く追いついた俺を広樹は不安そうな目で見上げ、息を吸い込んだ。 次に出る言葉は、わかっていた。 「ごめん!変なこと…「広樹」 ごめん。 俺も今から、変なこと言う。 「俺、お前にとっての音楽になりたい」 「え…?」 音楽の次に、音楽と同じくらい…いや、本当は音楽よりも、お前の中で大きな存在になりたい。 広樹もまた、俺の言葉をゆっくりと理解しようとしている。 夕陽のオレンジ色に染められた見つめ合う時間は、まるで永遠のように感じられた。 「…それって」 広樹の腕が、俺に向かって真っ直ぐ伸びる。 「好き…って、ことでいいの?」 頷いて、伸ばされた手を掴むと、グッと引き寄せられて…気がつけば、俺は広樹の腕の中にいた。 さっき夕陽に照らされてキラキラと輝いていた髪が、首元をくすぐる。 ふわりと、広樹の香りがする。 二人の、心臓の音が、混ざり合う。 「広樹…」 名前を呼ぶと、ギュッと抱きしめる広樹の腕の力が強くなる。 俺も、広樹のTシャツを握りしめる。 思いがけず叶った恋心が、胸の中でけたたましくリズムを刻んでいる。 俺は、広樹の中で音楽より大きい存在にはなれないかもしれないけど、もしかしたら…これからの広樹の音楽を、一番早く…一番近くで、聴ける存在にはなれるのかもしれない。 だったら…それで充分だ。 重なり合う二人の影が、これから始まる幸せな未来のように、長く長く伸びていた。 ………END
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