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メビウスの約束 2/5
あの頃、俺は都内の高校で教師として働いていて、あの日は…初めて担任を受け持った生徒たちの、卒業式の日だった。
無事に、何事もなく式を終えて、ようやく一段落ついたほんの少しの空き時間、俺は、屋上で校庭を眺めながら煙草を吸っていた。
寂しさがないと言えば嘘になるが、何よりも、誇らしさの方が大きい。
それぞれ進学や就職、進む道は違えど、ともに悩み、一年間真剣に向き合ってきた生徒たちの旅立つ姿は、とても…眩しかった。
背後で、屋上の扉が開く音がした。
軽快な、跳ねるような足音が近づいてくる。
この音ももう、聞けなくなる。
感じたのは、寂しさだけではなかった。
「何浸っちゃってんの」
足音の主は隣に立ち、俺の顔をのぞき込んでくる。
いつも着崩していた制服を、今日ばかりはしっかりと真面目に着ている。
踏み潰していたスニーカーは、真新しいものに変わっていた。
「…高梨」
「あれ?なんだ、泣いてないのか」
「いい大人がそう簡単に泣くか。お前こそ、目腫れてるぞ」
そう言うと、慌てたように目元に手を当てる。
高梨は、俺のクラスの生徒だ。
だから、今日、この学校を卒業した。
問題児だなんてとんでもない。
名前を呼ばれ、凛と返事をする姿は、立派だった。
「先生と会えなくなるのやだなぁ!」
大きな声で言って、高梨はくるりと後ろを向いた。
その俯く横顔は、随分大人っぽく見える。
そうだ…こいつは、時々こんな憂いを帯びた表情をするから驚く。
何も考えてないと本人は言うだろうけど、きっと…高梨は高梨なりに、色んなことを深く考えて…考え過ぎて、生きているのだ。
「先生…煙草やめないの?」
「まぁ…癖みたいなもんだからなぁ」
吸わなきゃいられないということはないが、特にやめようとも思わない。
理由があって吸っているものは、同じように理由がなければやめられないのだ。
「…俺、先生の煙草吸ってる姿見るの好きだよ」
そして俺が煙草をやめない理由は、その言葉を聞くためだということを、こいつは知らないだろうし、知られてはいけない。
俺にとって、この煙草がどんな意味を持つものなのか、誰にも…知られてはいけないのだ。
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