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ベンゼンの雨
ベンゼン、硫化水素、水銀、ヒ素の混合雨が地表を叩きはじめた。
数時間に一度の割合で、猛毒の驟雨があたりいちめんを漆黒の闇に変えるのだ。雷鳴が轟き、帯状閃光が空を紫色に裂いていく。
黄色い地上作業車両群は生き物のように息をひそめ、サイボーグ囚人たちは動作を停止したままひたすら雨に打たれ続けた。耐腐食合金の人工皮膚で覆われた顔に黒い雫が落ちていく。
やがて、低く垂れこめた乱層雲の狭間から木星の黄銅色の光が差し込んできて、雨粒と溶け合って大気が緑青色に染まった。木星焼けとか黄昏れ木星とか呼ばれている、衛星オディエルナ独特の気象だった。
その際に、甘い香りが彼の人工鼻腔へつんと貫けた。
「ベンゼンの含有量が多いな」
統括囚人のオーギュスト・スウェイは雨の匂いを嗅ぎ、その情報を人工脳へ伝達させた。ベンゼンの含有量が多い鉱区にはパラジウム鉱床が眠っていることが多い。科学的な根拠はないが、スウェイの経験によるものだった。
スウェイは額にこびりついた黒い雫をぬぐい、鉱床探索車の運転台から目視観察をした。
じっとしていた作業車両群の駆動輪が一斉に咆哮し、フリーズしていたサイボーグ囚人たちものろのろと作業態勢にはいっている。その緩慢な動作がかつて彼らが生身の人間であったことの証だった。
衛星オディエルナには火星や地球のようにきわだった高所地帯がない。のっぺりとした青褐色の平原がどこまでも続いている。そのかわり、落とし穴のような黒い口が無数に存在していた。
希少鉱床は黒い口の奥深くに眠っていることが多かった。
早くも鉱脈探知機が反応した。
スウェイは座標を読み上げた。単位はメートルである。
「第2象限区 X イコールマイナス60.25、Yイコール90.04、Zイコール1.2。以上。では、よろしく」
鉱床探索車は指令塔も兼務している。指令塔は作業鉱区の中央に位置するように決められており、そこを0起点として反時計回りに第1象限から第4象限までを統括する仕組みになっていた。
徒歩行進していたサイボーグ服役囚が続々と作業車両へ集結を始めた。
作業に必要な機材を運びだすためである。
レーザー採掘機、携行型クレーン、無蓋式トロッコ、鉱石選別機。
サイボーグ服役囚たちは鉱床開拓用に改造されているため、過酷な環境に不平文句を言う者はいない。手順が細部にいたるまでプログラムされているのだ。休めの命令が出るまで、ひたすら働き続ける。現場にいるときは人間の感情がすべて抑制されるからだ。
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