0人が本棚に入れています
本棚に追加
「止まない雨は、ありません」
雨音にかき消されそうなかすかな声で彼女は言った。
「ですが、あなたがそう望んでいるのなら雨は止みません」
-
雨粒が地面を叩くたびにぼくはまどろんで、なんだかすべてを忘れていってしまう。ここはどこなんだっけ、とか、なにをしに来たんだっけ、とか。思い出そうとするたびに雨粒が地面を叩いて、ぼくは思い起こすことも億劫で眠りにつく。
何日も、あるいは何か月も、あるいは何年も経ったのかもしれない。
ぼくがふと顔を上げると女の子がひとり顔を覗き込んでいた。
「ずっとここにいるのですか」
ぼくとそう変わらない年に見えたけど、大人びたていねいな言葉で話しかけた。
「言葉も、わすれましたか」
そっと横に座って、それから女の子は雨音に負けないようにぽつり、ぽつりとぼくに言葉をかけた。
雨にずっとあたって寒くないのですか。
雨はずっと降っているのですか。
なぜずっと眠っていたのですか。
どこかに行こうとしていたのではないですか。
「ねえ、帰る場所はわかりますか」
ぼくはようやく言葉が出るようになってきて、「わからない」と答えた。
「帰りたい場所も、なにも思い出せないから」
女の子はじっと空を見上げていた。
「空が晴れているところ、見たくありませんか」
「はれているところ?」
「雨が止んだ空です」
雨が降っていない空をみたことがなかったから、ぼくはわからなかった。
「ほんとうは、止まない雨なんてありません」
かなしそうな顔で、そう言った。
「止まないのだったら、それはあなたが望んだことです」
-
「今日はよく晴れていますね」
暑いのにパンツスーツ姿で女性が病院の前に立っていた。
「どなたですか、とでも言いたげなお顔ですね。でもそれなら任務は完遂です。もう考えなしに川に飛び込むとかやめてくださいよ」
僕はまだわずかに痛む頭の傷をさすりながら、女性の後ろ姿を見送った。
あとから家族にきいたところ、数週間、僕が昏睡状態である間ずっと雨が降っていたのだという。
最初のコメントを投稿しよう!