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「刺された、刺された。助けてくれ、家に押し入ってきた強盗に心臓を刺された。このままだと死んでしまう」
診察室に飛び込んできた男の右胸にはナイフが突き刺さっていた。医者ははじめこそ慌てたが、男がさほど重傷でないことが判ると冷静さを取り戻して、男をなだめた。
「もう大丈夫ですよ、落ち着いて。幸いなことに、ナイフは急所を外れています。さらに幸いなのは、あなたがナイフを抜かずにここまで来てくれたことです。もし抜いていたら、出血多量で死んでいたでしょう」
「出血なんかしなくたって、俺はもう死ぬ。心臓を刺されたんだから。呑気なこと言ってないで、早く手術してくれ」
「ええ、もちろん手術はします。ただその前に、現実を理解してもらわないと困ります。あなたの怪我は大したものではありませんし、心臓は無事です。今こうして普通に話せているのが何よりの証拠ですよ」
医者は熱心に言い聞かせたが、男の主張は変わらなかった。
「嘘だ。俺はここに来る前に自分で確認したんだ、どこを刺されたのか。医学にそんなに詳しくない俺でも、心臓がある場所くらい知っている。あっ、ほらみろ、やっぱり心臓だ」
そう言って男は医者の背後を指さした。医者が振り返ると、窓に映り込んだ男の心臓の位置には、たしかにナイフが刺さっていた。
「これは、これは。ご臨終です」
医者は窓の男に向かって手を合わせながら、こんなに軽い気持ちで言えたのは初めてだと思った。
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