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穂乃はレジに戻ると青年に「分かりました。お話伺います。着替えるので少しだけ待っていただけますか?」と言った。
青年は「もちろん。ゆっくり着替えてきてください」と答えた。
◇◇◇
穂乃と青年はパン屋を出て、本通りのカフェ『ドルチェ』に入った。奥の席に向かい合わせで座り水を運んできたウェイトレスに注文を済ませると、青年がすぐに話し始めた。
「ぼくの名前は、沢井慎太郎。金融関連の会社員です。あ、会社員だったと言った方が正しいかも知れません。あなたは?」
「私は鮎原穂乃。あなたがご存じの通りパン職人です。どうして私をここに?」
「実は実家の父が9月の初めに体調を崩しまして、急遽ぼくが父のパン屋を継ぐことになったんです。やむなく会社は退職しました。パン作りは中学生のころから手伝っていたので一通りのことは覚えているつもりですが、本格的なこととなるとまだまだ未熟でうまくいかないことばかりです。そんなときあなたの勤めているパン屋のデニッシュを思い出したんです」
慎太郎はそう言って眼鏡の位置を正すと視線を私に向ける。優しそうな瞳だった。
「穂乃さん。うちの店で働いていただけませんか。店長さんにはお話が通してあります。店長さんとぼくの父は古くからの馴染みなので」
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