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ぼんやりと過去の記憶に思いを馳せていた久我は、しかし、道路の向こうから慌てたように走り寄ってきた上品な老紳士――先程、鷹衛と共にビルから出てきた上司らしき男だ――が、その醸し出す穏やかな雰囲気にそぐわない蒼白な顔で何かを叫んでいるのを視界の端に捉えて、現実に引き戻された。 「警察と救急車、そこの貴方、ぼんやりしていないで、早く電話をしないか!」 警察、はともかく、救急車……? ドキン、と心臓が鳴った。 視線を下ろす。 刃物男を羽交い締めしている鷹衛は、完全に久我を背中に庇っているから、顔が見えない。 だけど、その僅かに見えるこめかみには、汗のようなものがびっしりと浮かんでいた。 え……? 久我は、視界が変にブレるのを感じた。 刃物男が持っていたナイフは、どこにいった? 羽交い締めにされている身体、その腕の先はどこにある? 気持ちばかりが焦るのに、自分の視線がなかなかその下に下りていかない。スローモーションのようにゆっくりとようやく辿り着いたその視線の先には。 その細身を包むグレーのスーツの脇腹あたりに、黒い染みが滲んでいる。どんどん大きくなっていく、その染みは。 「た、かえ……?」 思わず、その名前を呼んでしまった。 鷹衛が、驚いたように瞳を見開いて、久我の方を振り仰ぐ。 一秒、二秒……短いような長いようなほんの数秒、視線が絡み合って、そして。 血の気の失せた白い顔で、彼はフ、と笑った。 「なんて顔してんだよ」 しょーすけ、と小さな声で、幾らか躊躇いがちに、彼はそっと久我の名前を呼んだ。 お前、高校んときから全然変わってねえな。マジ、いろんな意味でわかりやす過ぎ。よくそれで会社の社長とか務まってんな、笑えるっつうの。 そんな呟きを漏らして。 鷹衛の細身が、ぐらりと崩れ落ちた。 自身の身体を支えていることさえできなかったのに、それでも、彼は。 確保した男を決して逃すまいと、羽交い締めにした腕の力は全く緩めなかったため、駆けつけた救急隊員たちを酷く困らせたのだった。
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