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鷹衛は、やたらに重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
瞼を開けたはずなのに、視界は暗い。モーターか何かのような音とも言えないような微かな機械音だけが、シン、と静まり返る部屋に低く響いていて、照明が一つも点いていないのだ。
起きたとき暗いのが苦手で、彼はいつも灯りを点したまま寝るのに、どうして。
ドキンドキン、と心臓が跳ねるような音を立て始める。
落ち着け、父さんはもうとっくに亡くなってる、今はあの日の早朝じゃない。
自分にそう言い聞かせるも、呼吸が上手くできない気がして、つい息を吸いすぎてしまう。このままじゃ過呼吸になる、と頭の何処かでわかっているのに、息苦しさに喘ぐような呼吸を繰り返してしまう。
苦しくて、腕を伸ばす。
いつも寝るときは欠かさず傍らに置いてある、安定剤のようなソレが、だけどこんなときに限って手に触れない。触れるのは、馴染んだシーツの感触よりもだいぶ固めに糊のきいた、覚えのない手触りのシーツだけ。
その代わりに。
「……たかえ?」
遠慮がちに囁くような、だけど、記憶の中のそれよりも少し低く、そして幾らか太くなった声が、彼の名を呼んだ。
声と同時に、捜し物が見つからず空振りに彷徨う手を、そっと壊れ物を包み込むような柔らかさで握られる。
「キズ、痛むのか?苦しい?」
欲しがってはいけない、焦がれてはいけない、絶ち切らなくてはいけない、ずっとずっとそう思っていたのに、十年以上もズルズルと少しも想うのを止めることができなかった、そいつの声が鷹衛を気遣ってくれた。
「……しょーすけ」
その名前を、吐息のように微かな声で呟いてみる。
夢か、幻か。
温もりのある夢なんて、なんて贅沢で貪欲な夢なんだろう。
ああ、俺、死ぬのかな。
だから、最期にこんなイイ夢、見せてくれるんだろうか。
「お前、あったかい、な」
力が上手く入らない手で、緩く握り返しながら、今度はもう少し声らしい声で呟くと。
「え?寒いのか?」
熱でも出てきたか?看護師か医者、呼ぶか?
そういう意味の“温かい”じゃなかったのに、見当違いな心配の声が返ってきた。夢でも幻でも、久我はいかにも久我らしいのが可笑しくて、そして少しせつなくて。
視線を向けたら消えてしまうのではないか、と恐れつつも誘惑に耐えきれず、ゆっくりとそちらに顔を向ける。
暗い室内には、よく見れば、何かの機器の電源ランプのようなものの仄かな光が幾つか点っていて、ようやく暗闇に慣れてきた瞳が、その薄ぼんやりとした光の中に浮かび上がる見知った男の顔を捉えた。
二週間前、鷹衛の所属する弁護士事務所に依頼人としてやってきて十年ぶりに再会した彼は、当時から目立ちまくりの華やかなイケメンだった高校のときよりも更に、男振りが上がっていた。ネットニュースや何やらで、映像としては最近の久我のことも見てはいたけれども、実物はもっと、何て言うのか、昔からあったカリスマ性が一層際立っていて、やっとその貫禄と風格に年齢が追いついてきて、凄味と引力と色気が増したと言うか。
その成長した大人の久我が、そこに、いた。
と、同時に、意識を失う前の出来事を思い出す。
そっか、ここは、病院……か。
そうだ、久我のストーカーに刺されたんだっけ。
夢でも幻でもなくて、ホンモノの久我に手を握られている。
そう認識して、慌てて彼は思わず握り返していた手を引っ込めようとした。
「ダメ、離さない」
どこか甘く、それでいて力強い声で、そう囁かれる。
「もう、離さない」
鷹衛、と、そいつはもう一度彼の名前を呼んだ。
「お前が、俺のこと、嫌いでも、憎んでても、凄いヤな奴だと思ってても、さ……もしかして、俺のせいで、傷つけたり、悲しませたり、イヤな思いさせちゃうとしても、さ」
この手を、どうしてもどうしても、離したくないんだよ。
お前を、二度と、離したくないんだ。
久我のその、ともすれば物凄く身勝手でワガママな告白は、だけど。
まるで、情熱的な愛の告白のように聞こえた。
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